「記事から曲」は「記事を楽曲化すること」とは少し違うよ、という話
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7/24(土)からです!
今日は企画の話です。
「記事から曲」の企画でたまに「楽曲化」というワードを耳にするのですが、自分が考えているのはいわゆる「楽曲化」とはすこし違うよ、という話です。
反論みたいな強い主張をしているわけではなくて、付け足しや捕捉くらいに捉えていただければ。
よろしくお願いします。
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「記事から曲」では、記事と音楽のコラボで生まれる新しい景色を大事にしています。
音楽を作る側の僕としては、記事の要素を音楽にすることで自分の中になかった引き出しを増やしてもらえる。基本的に僕はブルースとかロック寄りなのですが、企画を通して日本民謡風だとかラテンなダンスナンバーとか、自分の音楽的なDNAにないものを生み出されて、新しい景色を見せてもらえる。
記事を書いた方からも、自分の文章が実際に音楽になったときに予想を超えていたとか、思っていたのと違って意外だったとか、そういったコメントを頂くことが多く。そこには書き手が見ている新しい景色があるはずなんです。
その両者を共有、拡散することで、当事者以外の人も新しい景色を見ることができる。
そうやってみんなで新しい景色を見ながら、新たな交流やコミュニケーションのきっかけを作る。
そんな流れを大事にしています。
一方、僕が思う「楽曲化」というのはテーマソングの制作みたいなイメージ。
何かほかの用途に使用するために楽曲を提供するという感じ。
もちろん、それはそれで一つの在り方だし楽曲提供のお話をいただくこともありますが、「記事から曲」でやっているのはそういうものとは別な概念だよーってことです。
僕は再三言いますけれど、曲を作ってアップして終わり、というのにはあまり興味がなく。
良い曲できたから絶対聴いてね!みたいなのもあまり興味がなく。
どちらかというと、想いとか考えを共有する媒介としてそこに自分は音楽で携わりたいみたいな感じです。
その形が人によってエッセイだったり詩だったりイラストだったり色々で、同じものをそれぞれの別な媒体で共有するからこそコラボってもんだと思っています。
歌モノではなくインストゥルメンタルに限っているのもそのためです。なぜなら「言葉」は自分ではなく書き手のフィールドにあるものだからです。
なので、テーマソングを作るみたいなこととは別な発想であるということです。
以上、「記事から曲」は「記事を楽曲化すること」とは少し違うよ、という話でした。
誤解なきように注釈しておきますと、「楽曲化」というワードに反論しているとかそれが嫌だと言ってるわけではないんです。どんな言葉であれコメントを頂いてマイナスな気持ちになることなんてあり得ないんですから。
自分の発信の仕方が不十分だったり、企画を進めながら少しずつ考えが具体的になったりしているので、意図とは異なる伝わり方をしてしまうのも無理はなくて。
伝えたいように伝えるって難しいですね。