音楽家の仕事
音楽の仕事をしていると、いろいろな依頼を頂くものだけれど、新年度一発目の依頼もなかなかイレギュラーなものでした。
制作中なので詳しいことは書けませんが、ざっくり言うとギターをほぼ使わないお仕事。
曲の制作の依頼なのですが、ギターを使いません。
そりゃ、コード進行の確認だとか和音の重ね方を試してみるだとかで、ところどころギターを使っているところはありますが、最終的な成果物としての楽曲にギターのパートが入らない(予定)という意味。
こういった依頼は作曲家として大変うれしいものですし、ギターを用いずとも曲を書けることは、ギタリストとしての厚みにもつながろうと思っています。
さて、今日はその制作の中で気が付いたことをいくつか。
ギタードリブンな曲とそうでない曲とでは、そもそも曲の作り方が根本的に全く異なります。
ギターありきの場合は、リフなり音作りなり、「どんなギターを鳴らしたいか」イメージすることがとても重要。頭のなかで描いたサウンドが、そのまま曲の軸になります。
そのサウンドに沿って曲の構成も考えるので、たとえばコードをじゃかじゃか鳴らすイメージならアップテンポだったり、クリーントーンのアルペジオを弾きたいならバラードっぽくしたり。
おもしろいのは、これが逆だとパターンが無限通りあるのでうまくいかないことです。
バラードにしたいからアルペジオ、という発想も悪くはないけど、アルペジオを使わないバラードだって世の中にはたくさんあります。アップテンポだからって伴奏はじゃかじゃかしていなくても良くて、むしろ白玉のほうが映えることだってあります。
「ギターのイメージ→曲の構成」というベクトルは、ある程度の正解を絞り込むことができるけど、「曲の構成→ギターのサウンド」だとチョイスがいくらでもあるので、それはそれで楽しいかもしれないけど、結果的に苦労します。
一方、ギタードリブンでない曲。今回の曲なんかまさにその典型ですが、ギターが出発地点にない場合は、曲の構成から考えることになります。
ポップスの場合はAメロ→Bメロ→サビとかをなんとなく決めて、Aメロは明るい、Bメロは暗い、サビはもう一回明るいみたいな、そんな雰囲気に沿ってコードを決めていくことが多いように思いますが、
今回の曲はポップスではない(…というか、ポップスを作る人間が作る曲だから結果的にポップス的な要素は含まれざるを得ないけれども、少なくとも出発地点でポップスを作るつもりでは作っていない。これまたややこしい)ので、その構成の考え方が根本的に違います。
平安時代の絵巻みたいに、時間の経過に沿って譜面に展開を描いていき、先に骨格を完成させる手法を取りました。この時点では音符は書き込まなくて、ざっくりのコードだけ振ってイメージを残しておいた感じ。
その後に、それぞれのブロックごとにメロディと伴奏をつけていって、それが終わったら、同じようにブロックごとに編曲をしていく。それも終わったら、全体を通してつながりが不自然な個所を直したり、足りない音があればそれを探して付け加えたり。いわゆる清書のような工程を経て、完成に至ります。
今は、ブロックごとの編曲の段階。
ギター弾くのもDTMも、ミュージシャンなんだから同じでしょうとよく言われます。
そう思う気持ちはよくわかるのですが、実際はぜんぜん違います。
パラパラ漫画とジグソーパズルくらい違います。
ギターの演奏やギタードリブンな曲を書くことはパラパラ漫画に似ています。その一瞬のシーンに描くべき音をひとつひとつ繋げていって全体で流れを持たせるイメージ。言ってみりゃ、動画です。
一方、そうでない曲の作り方はジグソーパズルみたいに、そもそも絵柄の描かれているピースを組み合わせて、完成された静止画を組み上げるような感じです。
皆さんはどっちが好きですか?
僕は欲張りなのでどちらも好きです。
今、ジユンペイの活動についてアンケートを実施しています。
上半期の活動方針の参考にしたいので、お時間のある方はご協力頂けると嬉しいです!
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