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たまにはゆる~い記事も書きます


副反応から復活しました。

熱が上がったり下がったり、サイン波みたいな状況で、こういうのって今まで経験がなかったので大変でした。



熱が下がってる時、特に困りました。体調は全く問題ないのでギターも弾けるし仕事もできる状態なんだけど、次にいつまた熱が上がるかわからないから集中できないという。

しかも、熱なんて突然上がるわけではなくてじわじわ上がるものだから、「熱が上がったらやめよう」という作業の仕方ができない。

結果的に仕事にならん。



というわけで熱が落ち着いているときはアニメの「東京卍リベンジャーズ」を観ていました。今更ながらですみません。

まだ3話くらいしか見ていないので、大した感想は言えませんが、まぁ、「東京リベンジャーズ」の略がなぜ「とうまん」になるのか、「東リベ」はわかるとしてなぜ「とうまん」なのか、「まん」はどこから来たのか、ということくらいは理解しました。



アニメは3話まで見てから、その後も継続して観るかどうか決めるという話を聞いて、なるほどと腑に落ちた事があります。

僕は普段あまりアニメを見ないので、同じような発想を本に置き換えたとき、たとえば30ページまで読んでから全部読むかどうか決めるというようなことは考えづらいからです。



そう考えると、音楽の世界では「出だしの1秒が命」などと言われています。

音楽もストリーミングでザッピングできる世の中では、イントロでいかにリスナーのこころを掴むかが重要であるということの喩えです。



東卍のアニメ主題歌はOfficial 髭男dismの「Cry Baby」という曲で、奇抜な転調や音楽理論に縛られない自由な作風が話題になりました。

音楽をやっている立場からすると、Cry Babyがいかに変態的でだからこそ魅力に溢れているのかということを何万文字も書けそうな勢いなのですが

おそらくその手の話は、音楽に詳しくない方にはいまいち伝わらないと思います。

(喩えとしてどうかと思いますが)僕だって深谷ネギと越谷ネギの違いを力説されてもそれを100% 理解できる自信がありません。



吉野家の偉い人はヤバいことを言って大炎上しましたが、マーケティングとしての考え方の部分だけを抜粋して翻訳すると、牛丼のクオリティが云々よりも牛丼という存在を身近に感じてもらえる環境づくりが大切だという解釈も成り立ちます。


アニメは3話までにその世界観をある程度は提示しきる必要があるし(全部じゃなく、”ある程度”。その線引きがセンスなのかも)、音楽の場合は曲のある種のサマリーのようなものを1秒前後で表現したイントロが効果的ということ。

まぁ、そういうのって作り手の表現の問題であって、ある意味では見せ方の議論なので、だからこそ炎上したものと解釈していますが。。



まだ頭が若干ボーっとしているかな?支離滅裂な記事になっていますね!

改めてよろしくお願いします。


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ジユンペイ
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