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#音楽の履歴書第3話 ギタリストとして今、思うこと

#音楽の履歴書 。今週は最終回です。前回は高校時代までに聴いて育った音楽(エミネムやジャックホワイト)をまとめました。今週は大学時代以降から現在までの遍歴を書いて終わります。

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ブルースに開眼する大学時代

 大学時代はブルースを抜きに語れません。正確には、どっぷりハマるのは大学2年以降のこと。たまたま地元のCDショップで見かけたStevie Ray Vaughn(以下レイヴォーンと書きます)のCDを買ったことがきっかけでした。それまでの僕は、レスポールをとにかく歪ませることが世の中の全てだと思っていたので、ストラトキャスターなんていう楽器はロックじゃないし邪道だぜ、くらいに感じていましたが、、、レイヴォーンを聴いて180度心変わりしました。ストラトこそロックだとか言い始めたのもこの時期です。まぁ、単純に影響されやすいんですね笑
 初めて聴いたのは「Texas Flood」。フィルインのたった3音で全て持っていかれました。6/8拍子の穏やかなテンポに心地よくブルーノートが混ざって、まさしくテキサスの灼熱の大地を想起させる素晴らしいコードワークのあとは、マイナーペンタトニック一発で弾き倒すブルースリックの洪水。まさにFloodです。そのCDを買ったのが夏だったということもあって、未だにTexas Floodを聴くと、こころが汗だくになるような、僕にとって外せない一曲です。

 レイヴォーンでもう一つ好きなのが「Lenny」。ギターインストの曲ですが、これはTexas Floodとは打って変わって大人の雰囲気漂うジャズコードの嵐が堪らないわけです。当時からiPODは持っていたのでこういう言いかたは変だけど、それこそ擦り切れるくらい聴いてコピーして、良く弾いてました。で、Lennyのカヴァーをサークルのライブで披露したらちょっとした話題になり、ギタリストという肩書に挑戦しようと決意してインディーズの世界に飛び込んだのでした。ギター1本だけ抱えて、都内のライブハウスの門をたたき、レイヴォーンとかジミヘンのカヴァーをしまくって一旗あげてやるぜ、って。本気で思っていました。世間知らずにも程があります。田舎出身だからっておのぼりさんすぎます。バカです。とはいえ、インディーズに飛び込んでいなかったら今の僕はいないので、素直に勘違いできるバカであれたことを、僕はとても誇らしく思っていますよ



イマイチよくわからんインディーズ時代

 当時の僕がしていたことと言えば、曲を作ってレコーディングして、CDにして、ライブハウスに持って行ってライブをして。それをただ繰り返していただけ。音楽性としてはブルースギタリストを謳っていたけど、歌ものは思いっきりポップスだったし、そもそも歌よりもギターで勝負したいのにソロのSSWとして活動していた。頓珍漢という言葉がこれ以上当てはまる人もそう居ないでしょう。やっていることは矛盾だらけだったし、何をしたかったのか、今思い返すとイマイチよくわからない。
 ただ一つ間違いないのは、めちゃめちゃ死ぬほど楽しかったってことです。今は当時と音楽を見つめる目線も違うし幾分か冷めた温度で付き合っているので、昔の自分を俯瞰して見ると当時とは全然違うコメントになるわけだけど、じゃあ今、音楽やっていて、当時ほど楽しい瞬間がどれだけあるかと言うと、即答できないのが寂しいですね。

 敢えて今、当時の自分にコメントするならば、重要なことは何一つわかっていないただのアホだったということですね。覚えてるのは、ポップスにだけは着地したくない、ポップなんかでありたくないと本気で思っていたこと。ブルースやロックこそがギターだと信じていたし、そういう自分でありたいと思っていた。自分で言うのも変な話ですが、その気持ちって、ちょっとわかる気はするんです。ポップが出来ない自分を、ポップでありたくない自分にすり替えていただけのことなのですが。

 若い頃はそんな感じで、何か自分だけの武器を探してもがいていた気がします。

 そんな僕を応援してくれた人々や、文句も言わずについてきてくれてブッキングや事務仕事の一切を引き受けてくれた当時のマネージャーから頂いたご恩は、死ぬまで一生忘れません。



会社員時代~現在

 そもそもこれも世の中をナメた話なのですが、インディーズは1年頑張って結果が出なかったらすっぱり諦めて就活しようと思っていました。保険をかけておくことは何事においても重要ですが、保険ありきで行動しだすとロクなことにならないので、やっぱり頓珍漢でしたよね。
 そんなわけで大学卒業後はあっさり会社員になりました。その後しばらくはアルバム制作を細々と続けたり、友人と趣味でコピーバンドをしたりしていましたね。

 転機が訪れたのは2019年。この年の2月にギタリストの山口和也さんのイベントに参加し、たくさんのギタリスト仲間とつながりが出来ました。その際にたまたま同じテーブルを囲んでいたギタリストさんがセッションホストとしても活動していて、6月以降参加させてもらうようになり、音楽仲間が圧倒的に増えました。

 セッションを通して最も変わったのは、ギターとの付き合い方だと思います。それまでは(インディーズ時代も含め)音楽をする為にギターを弾いていたけど、今考えているのは「ギターで何を表現するのか」ということ。コピーバンドやインディーズではきちんと決まった曲が舞台として用意されていて、その中の1ピースとしてギターというパートが存在しているイメージ。いっぽうセッションは基本的に人と人とのコミュニケーションの場だと思っている。言葉ではなく音楽で交わるコミュニケーション。会話では、一方的に自分の自慢話しかしないような奴は疎まれます。コミュニケーションである以上それは音楽だろうと同じわけであって、音楽や楽器を通してどういうことを表現するのか、どんな発言をするのか、ということのほうが重要なのです。
 そういう姿勢が現在の作編曲のお仕事にも活きていて、ただギター弾いているギタリストから、多少は音楽的なギタリストになれたのではないかと自負もしている。こういうのって難しくて、自分でギター弾いてるだけでは中々気付くことができないので、やっぱり人と音を交換する場がないと厳しいですよね。昨今の社会情勢もありセッションには全然いけてないんだけど、いつかまた必ず遊びにいきます。その時、ジュンペイはどんなギターを弾くんだろう?って興味持って遊んでもらえるような、そういうギタリストでありたいと思っている。



おわりに

 思えば3週前。ネタに困ってお借りしたお題でしたが、思いがけず深い話まで到達しました。今僕は数えで29歳ですが、ギターを始めて19年。人生の半分以上を音楽やギターと過ごしてきたので、音楽の履歴書=人生の履歴書と言っても過言ではなかったのかもしれない。自分で書いていても中々おもしろかったので、別マガジンで全文読めるようにしておこうかなって思います。それについてはまたのちほど。
 いずれにしても、3週にわたりお付き合い頂きありがとうございました!来週からはまた普通のお題に戻ります。


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おまけ
 最近、clubhouseを始めました。なかなか面白いのですが「招待制」ということだけネックというか、引っ掛かっていて。Twitterなんかだと、フォロー&RTで無料招待とかやってる人もざらにいる。それを悪用だとは思わないけど、皆、わーって新しいものに群がるし、死んでも枠を確保したいと考える人もいる。僕が始めたのは、単純に新しいものに興味があって体験してみたいからという理由だったけど、招待されなきゃされないで仕方ねぇやって思ってた。そんな矢先、友達からたまたま招待してもらえたので有難い話ではあるんだけど。
 まぁ、たまたまだけどこの記事を書く段階では(〆切過ぎてるけど)間に合ったので、ここの有料で購読頂いている方についてはお気持ちばかり。ご希望の方には先着順に招待を差し上げます。フォローもRTも要りません。ご希望の場合は「rocjet1972@gmail.com」へメールください。〆切は「2021年2月28日24:00まで」とします。

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ジユンペイ
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