プロフェッショナルについて考える
はじめに
プロの○○になりたいと考えるときどのような行動をとればそれを達成できるのでしょうか。
○○に入る言葉は何でも構いません。それが「ギタリスト」とか「音楽家」とかだったら僕が個人的に親近感を持つかもしれないというだけのことで、○○に入る言葉は「おにぎり職人」でもいいし、変な話、「ナンパ師」とかでもいいです。要するにここでは特定の職に限らず一般的に考えられる話として考察したい、ということです。
シンプルに考えると二つの方法があります。
1の方法、つまり「自ら名乗る」については、実にシンプルです。今すぐTwitterやnoteのプロフィール編集欄を開いて、ご自身のユーザー名に「プロ」という単語を追加してください。誰でもどこでも、5秒もあればできることです。
そう考えると、僕たちにとって考察する価値があるのは2の方法について、ということになりそうですね。
※プロであることを自認する矜持だってもちろん重要なわけですが、それは人それぞれの生き方や人生哲学につながるような話だったりするので、今回は割愛します。
プロであると認めてもらうためには
よくある議論に、「お金をもらうことがプロの定義なのか?」というのがあります。
僕はこの言い方について、実は半分くらい的外れな定義だと思っています。代金を頂くことは確かにプロを形容する要素の一つではあるかもしれませんが、「お金をもらうこと=プロ」であるなら、たとえばお年玉をもらう子供は「プロこども」ということになります。これは極論ですが、要するにプロを定義する中で金銭ばかりが第一義に来て提供する価値については触れられないことに違和感を覚えるのです。有意義なものや魅力のあるものを提供できるから結果として代金を頂けるのであって、決して代金を頂くからプロというわけではないと考えます。
であるならば、他者からプロであると認めてもらうためには提供する価値の内容が重要になるはずです。
ここで言う「提供する価値の内容」というのは必ずしも質(=クオリティ)と一致しません。高品質なものばかりが求められているとは限らないからです。したがって「高品質なものを創れること」もプロの定義としては不十分だと感じます。
ここまでを踏まえてこの記事ではプロであることを次のように定義してみましょう。
①要求に応える
これはプロを目指す人々の多くが勘違いすることですが、内容(もしくはクオリティ)というのはお客さんが求めるものです。こっちが決めることじゃありません。
勘違いの仕方としてはふたつあります。
ひとつは自分で自分のクオリティに満足がいかなくて作品を発表できないという矛盾。もうひとつは、自分で自分の作品に満足がいっているから独りよがりな価格設定をしてしまうケース。
両者に共通して言えるのは、基準を満たす質かどうかなんてやってみないとわからないということです。自分で納得いっていなくても予想以上に絶賛されることもあるかもしれません。逆に、自信作が酷評されることだってあります。どちらも、あくまでもお客さんが決める価値についての話なので、自分で勝手に決める話ではないです。
したがって、いわゆるプロクオリティを手に入れるためには、人の目に晒され続ける覚悟が必要です。研鑽するとか良い機材を買うとかはその後(もしくは過程の中で)の話です。
②納期を守る
こんな状況を想像してみてください。あなたには付き合っているAさんがいます。Aさんはとても素敵なひとで見た目も性格も100点満点なのですが、あなたにはひとつだけ気になることがあります。Aさんの遅刻癖です。デートの日は決まって毎回リスケされます。ようやく日取りが決まったと思っても、約束より5~6時間は平気で遅れてきます。Aさん曰くその理由は「最高のコーディネートが決まるのに時間がかかったから」
Aさんに好印象を持つ人はどれくらいいるでしょうか。きっと多くの方がAさんには付き合いきれないと感じると思います。
しかし制作の現場では、これとほぼ同じようなことが割と頻繁に起きます。
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