初等幾何学は何故物理でないのか
問題提起
ふと、初等幾何学が物理学に分類されてないのを不思議に感じた。物理の基本単位は、MKSA単位系にある通り、長さ、質量、時間、電荷の4つで、この内の「長さ」と「長さ」のみで構成される単位(つまり、面積や体積)は、初等幾何学の管轄になっている。
初等算術、あるいは代数学や解析学の場合、物理的な文脈が提示されなければ、数値が表すのは、体積なのかエネルギーなのか非物理量なのか、全く決まらない。だから、初等算術や代数学の計測機器というものは存在しないし、物理学でないのは何となく納得できる。
反対に、初等幾何学の場合、何も説明されてなくても、長さ、面積、体積は、物理的な長さ、面積、体積と解釈すると思う。定規や分度器のような測定器具も存在するから、そういう意味で、初等幾何学は、初等算術や代数学よりも、物理学に近いと言っていいだろう。
尤も、現代日本の小学校、中学校、高校の幾何学の問題をみると、小学校、中学校では、単位が書いてあるのに対して、高校になると、具体的な数値を扱う場合でも、単位を書かなくなるっぽい。学習指導要領にそうしろと書いてあるのかは知らない。
高校の時、この点について特に説明があった記憶もないんだけど、高校の幾何学では、長さは、物理的な長さではないのかもしれない。この扱いは、高校では、ベクトルを習う都合かもしれない。ベクトル空間は、幾何学的な空間とは限らないし、ノルムは物理的な長さとも限らないが、高校の段階だと、専ら幾何学的対象として扱われる。
そもそも、"実数"という概念も、大元を辿れば、様々な物理量に共通する性質を抽象化して得られたものと言える。単位ごとに、異なる数体系を用意しなくていいのは、人類にとっては、幸運だった。歴史的には、物理量を実数で表すことは、自覚的に導入されたというより、何となく常識になった。
考えてみると、本来は、長さ・重さ・体積に、負の長さ・負の重さ・負の体積はない。色々の物理量がなす集合について素朴に認められる経験的事実として、加法に関して可換モノイドをなすこと、全順序を持つこと、"torsion-free"であること、cancellativeなこと(A+C=B+Cなら、A=Bであること)、アルキメデス性を持つことなどがある。列挙してみると、それなりに色々な条件があるけど、ここから実数に至るにはギャップがある。
色々な物理量に共通する条件(現在の用語ではArchimedean monoidと同値になる)を整理して、実数に埋め込めることを数学的に証明したのは、1901年に出版されたOtto Hölderの論文“Die Axiome der Quantität und die Lehre vom Mass”が最初と思われる。原論文は、ドイツ語で書かれたものだけど、一部は、英語訳がある。
問題が定式化されてしまえば、証明はDedekind切断を作るだけなので、現在では大学生レベルの演習問題。一般には、この結果は有名ではないと思う。Hölderの結果で何かが計算できるわけでないものの、物理量の実数モデルは現代物理学の基本的要求だろうから、物理学の基本定理と呼んでも差し支えない気がする。
それでも、21世紀の現在、数学と物理学が区別されてるのは事実で、初等幾何学は数学の一分野とするのが一般的だろう。究極的には、分野の分類は、社会的な決めごとに過ぎないとしても、何か判断基準はあるかもしれない。
現代人の答え
同じような疑問を持つ人は、他にもいるらしく、検索すると、"Why is geometry mathematics and not physics?"などを見つけた。
答えの一つに、数学は実世界の観測や測定に影響されないが、物理学は実世界の観測や測定に影響されるものである等々と書いてある。
しかし、例えば、古典力学自体は、モデルの一つに過ぎず、実世界の観測や測定に影響されない。実際、古典力学は、厳密に正しくないことが分かっているけど、現在も有用な近似理論として使われ続けてる。これからも使い続けられる可能性は高い。従って、古典力学自体は、もはや、実世界の観測や測定に影響されるとは言い難い。
物理理論は経験的に導かれるが、初等幾何学は、そうでないという解答もある。しかし、初等幾何学の始まりは、ユークリッドでも古代ギリシャでもない。初等幾何学黎明期のことは、かなり限定的にしか分からないが、多くの計算法の妥当性は、経験的に確認されたものと推測される。
近似理論が論理的に一貫していることは必ずしも必要ではないが、現代物理学の多くの理論は、適切な公理系に基づく演繹的な体系として構成することもできるだろう。ニュートンのプリンキピアの一部を形式化したと主張してる人もいる(cf. Proving Newtons Propositio Kepleriana using Geometry and Nonstandard Analysis in Isabelle)。
アインシュタインは、1921年の小文Geometrie und Erfahrungで、数学に分類される「公理的幾何学」と、物理に分類できる「実用幾何学」を区別してる。日本語訳を作成している方がいるので、引用させてもらう。
これ自体は、ポアンカレの『科学と仮説』にある議論や公理主義の影響を受けた見解だと思う(ポアンカレ自身の見解とは異なるが)。それはいいとして、このような分類は、当時も今も一般的でなく、通常は初等幾何学が数学側に分類されてる理由を説明しているわけではない。
近代ヨーロッパ人の見解
英語圏で、現在の物理学とほぼ同じニュアンスでphysicsという単語が広く使われるようになったのは、19世紀のことと思われる。西暦1600〜1800年頃、ヨーロッパでは、pure mathematicsと"mixed mathematics"という分類があった。mixed mathという名前は廃れたけど、pure mathematicsの方は、現在でも残っている。
これらの用語は16世紀末には使われてたようだが、英語で使い始めたのは、フランシス・ベーコンかもしれない。どんな単語でもそうであるように、多少のニュアンスの変化はあっただろうが、基本的には、フランシス・ベーコンの認識は、使用されなくなるまで、踏襲されてたようだ。
Applied Mathematics Should Be Taught Mixedという論文に、フランシス・ベーコン(1561~1626)の学問分類と、ダランベール(1717~1783)の学問分類が載っている。両者は100年以上隔たってるし、国も違うけど、共通した傾向が見て取れる。
フランシス・ベーコンの分類は、1605年の"The Advancement of Learning"という本に書いてある。該当部分を、project gutenbergで拾ってみた。
算術と幾何学は、pure mathに分類されていて、mixed mathに分類されるのは、perspective, music, astronomy, cosmography, architecture, engineery, and divers othersだと書いてある。基本的には、何らかの"量"を扱う分野が、数学だったらしい。
ダランベールの分類は、フランシス・ベーコンより単純で、大枠として、定量的か定性的かという基準があって、定量的なのがmathematics、定性的なら"particular physics"(解剖学や薬学なども含んでるので、"自然学"と訳すべきだろう)としたと思われる。
ダランベールの時代には微積分学が加わったけど、arithmeticの下位にalgebra、その下位に微積分計算を置いてて、あくまで、算術の一部という扱い。実数であれ、整数や自然数であれ、"数"に関する理論は、全部arithmeticということだろう。フランシス・ベーコンは、幾何学と算術を、連続量(quantity continued)と離散量(quantity dissevered)を扱うと書いてるので、多少の違いがある。
ダランベールのmixed mathには、力学、天文学、光学、音響学、Pneumatics(水車やサイフォンなどの流体機械を扱う分野。水理学や流体力学という分野名は当時まだ新語だったので、こっちを使ったのかもしれない)、Art of Conjecturing(確率論)の6テーマを挙げているらしい。工学的内容が排除されてるように見えるのはともかく、確率論は、pure mathとはされてない。
mixed mathは、物理的テーマで構成されているが、当時、電気や磁気に関する研究は行われてたけど、まだ定性的記述に留まっていて、定量的法則は、何も知られてなかったので、電磁気学のようなものは、mixed mathには入らなかったはず。また、気象・天候も、古代から興味を持たれたテーマで、気象現象では、それほど正確でない周期性は沢山見つかる(20世紀になっても、データの量と精度増加を背景として新規の周期性探索は試みられた)けども、確度の高い定量的規則を見つけることはできなかったせいか、mixed mathには含まれなかった。
1803年付けになっている"A General History of Mathematics"という本があって、タイトル的に、これは"数学史"の本と言っていいだろう。フランス語からの英訳だと書いてある。この本のintroductionには、pure mathとmixed mathの分類が書いてある。mixed mathは、physico-mathematical sciencesと呼ぶこともあると書いてある。
mixed mathのテーマは、ダランベールの挙げたテーマと、概ね一致していて、mechanics,hydrodynamics,astronomy,optics,acousticsなどが含まれている。細かいことを言えば、古代でも、hydrodynamicsという名前を流用してるけど、古代には精度の高い時計がなかったので、dynamics(動力学)もなかった。ヘロンのPneumaticaに、水時計が含まれていることから、時間を測定する水時計自体が、pneumaticsや機械学の主題の一つでもあったと思われる(Pneumaticaには、アイオロスの球という蒸気機関の一種も記述されてるので、pneumaticsは熱力学の先祖だとも言える)。
現代では、時間計測を改善する必要に迫られる人は少ないが、高精度な時計は、天文学の精密化と動力学の測定の両方で不可欠だった。水時計は、古代のユーラシア大陸広域で天文観測に使われてた。『インドの天文学書アーリアバティヤ』の注釈書には、水時計で時間を測れと書いてあるし、古代中国の天文書『周髀算經 』下巻には、水時計(漏刻)で時刻を確認しろと書いてある("加此時者,皆以漏揆度之")。
ずっと後の時代、天文学と動力学の発展が同時期に起きたのも、必要な計測機器が同じだったというだけのことなんだろう。秒単位で測定できる時計なしに重力加速度を測定する難しさは容易に想像できるし、水時計で、そんな精度を出すのは難しい。
フランシス・ベーコンは、pure mathが自然哲学の公理から切り離されてると書きつつ、natural philosophyの一部に分類してもいる。現代数学では、例えば、論理とか文法(の一種)も分析対象になって、自然現象でないものも扱うけど、おそらく、ベーコンの時代には、"数学"は自然科学の一部のように思われてた。
もしかしたら、論理学を自然科学と見なす立場もなくはないかもしれない(古代インド人やギリシャ人には、"論理"を"宇宙の根本原理と考えた人もいたかもしれない)けど、"真偽"は物理的性質ではないし、実験論理学みたいなものを想像することは難しい。フランシス・ベーコンも、ダランベールも、Logic/logiqueについては、何も言及していない。
ちなみに、ロジャー・ベーコン(1214~1294)は、著書の中で、論理学と文法学を音楽に依存するものとみなし、当時、音楽は"数学"の一部だった("音楽"は原始的な音響学を含んでいたと思えばいい)ので、数学は論理学や文法学に先立つというようなことを書いている。ロジャー・ベーコンの理屈(屁理屈)は私には奇怪に思えるが、論理を"(現代)数学"の基礎とみなす考え方と真逆を行っていて、この一点だけでも、昔の"数学"と現代数学を同じように捉えるのは間違っていると思われる。
素朴に想像してみると、元々、古代の数学は、実用的で工学色の強い分野だったはず。幾何学なんかは、建築に関わる技術者や職人の知識だったかもしれない。古代人は、長さや重さの測定なんかをやる内に、便利な定量的規則を色々発見し、知識が集積されるにつれて、自然現象や工学機器の定量的法則を記述する分野が成立したんだろう。
現代では、精密でない定性的数理モデルも沢山作られてるけど、古代の数学では、実用に供する程度の"精密さ"は重要だったと思われる。精密な計算法が確立できる問題は(現代でも)多くないけど、普遍的な手段であることや、厳密な正しさは、必ずしも要求されてなかったのかもしれない。
Wikipediaを見ると、ロジャー・ベーコンは、「近代科学の先駆者といわれる」とか書いてあるけど、彼の書いたものを読めば、"数学"を最重視していたことは、すぐに分かる。当時は、まだ"古代数学"の延長上にあった時代で、「測定して、計算モデルを作って、精度を検証する」という現代物理学みたいな一連の流れが、"数学的"方法だったと思われる。初等幾何学は完成して久しかったけど、天文学は、モデルが完成したとは見なされてなかったので、色々なモデルが(主にイスラム語圏で)提案されていた。
但し、ロジャー・ベーコンの時代のラテン語ユーザたちは、多分、天文学で使われてる数学(三角関数とか)が、よく理解できなかったのじゃないかと思われる。高度な数学的内容を含まない天文学のテキストが作られ、大学の天文学の授業では、長らく使われた。ヨーロッパにいたヘブライ語ユーザ(いわゆるユダヤ人)たちは、数学的内容も理解してたらしく、天文表を作成したりしている。最終的には、ラテン語ユーザたちも、自身で天文学を発展させられるようになった。
とにかく、そんなわけで、"古代数学"は、自然科学的であり工学的でもあって、そういう認識は、17〜18世紀まで残っていたと考えられる。19世紀末になると、数学史では、mixed mathを扱わないのが一般的になった。1898年のカジョリによる数学史の本には、mixed mathに分類されてたテーマは含まれなくなっているし、それ以後の数学史の本も、大体そんな感じだろうと思う。逆に、William WhewellのHistory of the inductive sciences(1837年)では、mixed mathに相当する部分だけ取り出して記述している。この本では、mixed mathという名称は使われてない(古代には、そんな名前はなかったので、それ自体はいいけど)し、それらのテーマが"数学"であったことを想像できるような記述はない。
19世紀中の変化の詳細は追ってないけど、徐々に、pure mathの部分のみが数学で、mixed mathの大部分は数学ではないという見方が支配的になって、現在まで続いている(確率論だけは曖昧な立ち位置にあったらしい)。pure mathは、フランシス・ベーコンの定義だと、自然哲学の公理からは切り離されているということで、自然科学や工学から少し距離を置かれることになった。こういう変化が起きた理由は定かでないけど、分野が大きくなって、分割したくなっただけのことかもしれないし、自然科学全般の分野再構成の一環だったのかもしれない。
19世紀以降に成立した物理学(physics)という分野が、他の自然科学と比べて、数学的計算を多用する(一方、現代数学のような論理的厳密さは要求しない)理由は、元々が数学と呼ばれていた分野で扱われていたテーマを多く取り込んで成立し、手法の面では、それを継承したからだろう。一部のテーマは工学にも継承された。他方で、数学は、経験的事実から分離されているという題目を真剣に受け止めて、"論理"を唯一の拠り所として、厳密化する方向に進んだ。
mixed mathと似た印象のある"応用数学/applied mathematics"という言葉の台頭については、あまり調べてない。ざっと調べた所、18世紀にも、applied mathematicsという用語の使用は見られるけど、それほど多くないように見える。そして、19世紀の時点だと、応用数学は、ほぼ物理的な問題しか扱ってないので、物理学との区別は曖昧でもある。1900年のScienceの記事The Century's Progress in Applied Mathematicsでも、それは確認できる。
19世紀は過渡期で、まだ"数学者"が自然現象や工学機器について議論するのを確認できるけど、時間経過と共に、専門分化は進行した。1868年のAiryのStokesへの手紙には、ケンブリッジでの数学・天文学教育へ言及した後、以下のように書いている。
詳細はともかく、工学、数学、物理学の形成と再編によって、19世紀以降の数学は、17〜18世紀に、pure mathだった分野(と確率論)のみとなった。すると、初等幾何学が、現代で数学に分類されてるのは、この時に、pure mathに分類されていたから、それを踏襲しているだけというに過ぎないことになる。だとしても、幾何学は、何でmixed mathじゃなかったのかという問題になるだけで、最初の疑問の答えには全然近付いてない。フランシス・ベーコンの時代に、幾何学がpure mathなのは当然と思われたのか、この点について、説明は見当たらない。
近代以前のヨーロッパ圏の認識
更に遡って中世ヨーロッパの知識人が書いた学問分類論を読むと、pure mathとかmied mathみたいなのはなくて、"数学"のテーマとして、算術・幾何学・天文学・音楽が挙げられるのが典型的だったように見える。これは、4つあるので、四科/Quadriviumとも呼ばれた。Quadriviumはラテン語だけど、mathematicsに派生するラテン語として、mathematicaも使われていた。
Quadriviumとmathematicaは、かなり同義に近かったようだけど、Quadriviumは、リベラルアーツに含まれる四教科のみを指していたのに対して、それ以外のテーマ(例えば、"光学"や"静力学"に似た分野)を"数学"に含めるケースもあった。逆に、この4つを含めない人は、おそらくいなかった。学者でない庶民(商人や職人)は、習得したとしても、専ら、算術と幾何学のみではあっただろうけど、算術と幾何学のみを指す用語は、特になかったように思われる。
こうした分類は、古代ギリシャや古代アレクサンドリアのものが、殆どそのまま受け継がれていたらしい。5世紀のプロクロスによる著書には、Geminus(紀元前一世紀頃の数学者、天文学者とされる)らのものとしている分類が掲載されてる。ギリシア語版を読むのは厳しいので、オープンアクセスになってる18世紀の英訳から引用する(1970年にも、英訳が出てるが、著作権関係でオープンにはなってない)
プロクロスが、"the preceding"と書いてる分類は、Quadriviumと同等なもので、プロクロスは、これをピタゴラス主義者たち(Pythagoreans)の考えだと書いてる。勿論、Quadriviumという名前は、ラテン語なので、そんな名称は使ってない。
一方、Geminusのものとされる分類では、"intelligibles"と"sensibles"の二種類に分けられて、前者に、算術と幾何学が割り当てられる。後者には、mechanics(単純機械の理論)、astrology(天文学、占星術)、optics(光と視覚の理論)、geodæsia(測量法?)、canonics(音の理論)、logistics or the art of reckoning(計算法?)の6テーマを入れている。
intelligiblesは、現代なら、純論理的というかもしれないけど、当時の記述には、"論理"が基礎だとは別に書かれてない。この区別には、扱う対象が、精神的か物質的かという対比が念頭にあったようにも見える。
logisticsと算術は被ってる気がするけど、上記の文の続きに、以下のような記述がある。
つまり、geometry、arithmeticとgeodæsia、logisticは対比されていて、前者が純粋に思考の産物としての数や図形を扱うのに対して、後者は実用幾何学、実用算術という感じの位置付けっぽい。従って、sensiblesにも、ある種の初等幾何学が含まれてた。そうすると、sensiblesと呼んでる部分は、Quadrivium + mechanics, opticsと考えても大差ないのかもしれない。
intelligiblesとsensibles両方に似たテーマを含む理由は分からない。内容の詳細も分からないけど、前者は、哲学者の数学で、後者は、"技術者"の数学という区別かもしれない。両者は、問題意識の上では、現代の数学(文字通り、"現代数学")と工学くらい違っていたという可能性もある。フランシス・ベーコンのpure mathとmixed mathは、この分類を継承したようにも見えるけど、それを裏付ける証拠があるかは知らない。
軍事利用が示唆されてるけど、実用数学を使う集団に、書記や測量士のような人以外に、軍事技術者がいたと思われる。プルタルコス(46?~119?)は、Vita Marcelliの中で、"mechanicsは、哲学者から長らく遠ざけられ、軍事技術の一つと見られることになった"と書いていて、mechanicsの研究者も、軍事と関わることも多かったと思われる。ウィトルウイウスのDe Architecturaには、機械に関する本を書いた人として、12人の名前が確認でき、素性がわからない人もいるけど、アルキメデス他、軍事技術者らしき人が含まれる。実際のところ、いつの時代も、軍事技術から距離を置きたいとか、関わりを表に出したくないと考える人はいたのだろう。
プロクロスは、"Qaudrivium"に相当する分類を、ピタゴラス主義者の考えだと書いてるけど、この分類がギリシア産だったのかも定かではない。伝説では、μάθημα(mathema)あるいはμαθήματα(mathemata)を、"数学"の意味で使いだしたのは、ピタゴラスだとされてて、4つのテーマも、ピタゴラスの時代には存在してたことになってる。
ピタゴラスより前の時代に、(実用)幾何学、算術、天文学が、ギリシア周辺地域で発達していたことは、よく知られるようになったけど、20世紀後半の研究では、音楽理論についても同様っぽい(cf. Music in ancient Mesopotamia and Egypt)
ピタゴラス以前から、ギリシア外の地域で、Quadriviumのテーマが、"数学”に相当する単一の分野に含まれるものと見なされていた可能性もないとは言えない。"Quadrivium"の原型が、周辺地域の産物だとしても、記録がないので、何もわからないことに変わりはないし、これ以上遡って、有望な文献を見つけるのは難しそう。
Geminusの分類を踏襲するなら、フランシス・ベーコンは、実用幾何学相当の分野を、mixed mathに入れてもよかったはず。何でそうしなかったかは書いてないので推測しかできない。ベーコンがmixed mathに分類した分野は沢山あって、"others"として省略しているものもあるから、そこに含めたつもりだったのかもしれない。
あるいは、Geminusの時代には、幾何学を始めたのが哲学者でないことは記憶されてたけど、フランシス・ベーコンの時代には、そういうことは、もう忘却されてたのかもしれない。『原論』が、西暦1600年頃のヨーロッパ人が手にしてた最古の幾何学書なのは確かだし、哲学者たちが論理的手続きによって幾何学的事実を発見したと思ってても不思議はない。
ちょっと面白いことに、1921年のNature誌の記事Experimental Geometryで、"experimental geometry"が存在する、しないという論争がされているのを見ることができる。初等幾何学が経験的に得られたものでないと考える人もいたらしい。
色々調べると、初等幾何学が、物理の分野に似てるのでは?と思う人は、時折出ている。物理学では、一般に厳密化することや公理化することは重視されてないので、初等幾何学が物理学の一分野になってたら、ユークリッド(とそれに先立つ古代ギリシア人)たちの評価も違ったものになったかもしれない。
古代中国の場合
ついでに、別の文化圏の例として、古代中国を見てみる。古代中国の算書では、幾何学的な計算を特別重視してないし、それ以外の計算から取り立てて区別されてもいないように思う。"幾何学"という名称は、16世紀に、ヨーロッパの宣教師がやってきた時に作られたとされる。
"学"の付かない”幾何”という単語は、waht valueくらいの意味(幾は"幾ら"の意味で、何はwhat)で、単語の原義としては、"幾何学"も、"算(学)"などと同様、数値を計算する分野くらいの意味だったのかもしれない。図形や形を扱う分野というニュアンスは読み取れない。
古代中国の算術書である『九章算術』や『孫子算経』の問題文は、"...幾何"(…はいくらか?))という定型文で書いてある。基本的に、問題文と解法のセットの繰り返しで、全ての問題文は何らかの数値を求める(平方根などは近似値)形式だった。このような形式は、古代エジプトの数学パピルスに類似している。古代エジプトやメソポタミアから伝播してきたものなのかもしれない。
古代中国では、別に公理化したりはしなかったけど、度量衡を扱う分野としての"算学"には、紀元前の段階で、初等幾何学の有用な結果は一通り知られていた。
4〜5世紀頃の中国の数学観の一例を、『孫子算経』で見てみる。『孫子算経』訳注稿(1)には、原文も掲載されてるけど、現代語訳を引用する。
抽象的には、"算学"を、普遍的な自然法則そのもののように捉えていたように読める。但し、これは建前みたいなものであって、実際に扱われてるのは、徴税や測量のための計算であって、実用的な性格が強い。日本でも、算師の守備範囲は、財務・経理と建築関係の仕事だったらしい(暦は、暦博士と算博士で分かれてるので、別扱い?)。
『孫子算経』で挙げられている応用例には、度量衡、天文、暦の計算、測量、占いあたりを確認できる。"六芸の締めくくり"とは、『周礼』にある"礼楽射御書数"を指して、そこでは、"楽"(音楽)と"数"(算学)は区別されている。
一方、"道徳の理を窮め"は、注釈に、"数に基づき起こされた音楽が人民の道徳を同一にすることを「窮道德之理」と云い、..."と書いてあるので、音楽も無関係とは考えてないのかもしれない。音楽と道徳を関連付ける思想は、古代ギリシア・ローマにもあったらしい。この迷信は現在も生きていて、例えば、『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 音楽編』に、"音楽による豊かな情操は,道徳性の基盤を培う"、"音楽科で取り扱う共通教材は...(中略)...道徳的心情の育成に資する"とか書いてあったりする。
『孫子算経』の記述では算学と音楽の関連が本当に念頭にあったか曖昧。『孫子算経』より数百年ほど前に、劉徽によって書かれた『九章算術』の注釈(2世紀頃?)を見る(『九章算術』訳注稿(1))と、冒頭付近に、"暨於黃帝,神而化之,引而伸之,於是建曆紀,協律呂,用稽道原。"と書いてある。
この文は、"黄帝に至ると、これ(伏羲の算学)を大幅に拡張して、暦と音律(あるいは律管)を作り、道の根源を考えるのに用いた"というようなことらしい。これの前文に、伏羲が(八卦と)九九を考案した旨が書いてある。欧米圏では、同様の掛け算表は、ピタゴラスの表と呼ばれてる場合がある。"道"は、易経の「形而上者謂之道、形而下者謂之器」という記述にある"形而上ナルもの"のことと思われる。
この文には、算学と音楽を関連付ける意図が、より明確に見られる。ここの音律は、「三分損益法」という名前で呼ばれるもので、ピタゴラス音律と同等のものとされてる。『呂史春秋』(仲夏紀,古楽)には、律管のことだろう記述があり、黄帝が伶倫に命じて律管を作らせたという伝説が書いてある。この伝説は事実ではないだろうけど、『呂史春秋』が書かれた時代には、律管の起源は既によく分からなくなってたと推測され、先秦時代に遡るものと考えられる。
また、唐代に成立した史記の注釈書『史記索隠』の中に、"按系本及律曆志、黃帝使羲和占日,常儀占月,臾區占星氣,伶倫造律呂,大橈作甲子,隸首作筭數,容成綜此六術而著調曆也"(黄帝が家臣に命じて、占日、占月、占星気、律呂、干支、算数を作らせ、容成が、この六術を総合して暦を作ったというようなこと)とある。この記述自体は単なる伝説だけど、音律(律呂)を、暦作成の基礎と見なす発想が唐代以前に生じてたことは分かる。
天文学と音楽に共通の法則を見出そうとする発想は、プトレマイオスなどにも見られるけど、両者の試みに類似点があったのかは知らない。ユーラシア大陸のもう一つの大きな文化圏インドの場合、天文学と音楽を関連付けて考えた形跡は見当たらないので、多分、そういう思想は、皆無だったか、伝わっても流行らなかったっぽい。
音響現象と天体現象は、物理的には無関係だけど、最大限、肯定的に見れば、楽音も惑星運動も近似的には周期現象で、共通の数学的構造がないとも言えない。天文学で導入された三角関数が、フーリエ解析を生み、音の分析にも使われてることを思えば、着眼点は悪くなかったのかもしれない。音が何か知らなかった古代人でも、回転体が発する音の高さと回転速度の関係に気付くのは不可能ではなかったと思う。近代の音響学者も、単に数学を通じてのみ楽音の周期的振動を理解したわけではなく、Savart wheelとかSiren discなどの回転体を作って実験している。とはいえ、古代人が実際にやったことは、天文現象の時定数の比を、協和音の周波数比に共通の定数を探す程度のことで、周期現象の一般論を模索したわけでもないし、過大評価かもしれない。
"機械学”に相当する分野名は、中国にはなかったと言っていいと思う。ただ、古代中国でも、天文学者は、天文観測用の機器を、自作するか、最低でも自分で設計する必要は、しばしばあったと思われる。中国は、10世紀頃までは、時計開発に於いても、先進的であった。"数学者"であり天文学者であった祖沖之(C.E.429~500)が、機械を設計したという逸話も残っているので、数学に秀でた人が、機械を設計するようなことは、突飛ではなかったと思われる。
天文学、暦法、音楽を含めるかどうかはともかく、幾何学的問題(長さ、面積、体積の計算問題)は、算学初期の文献にも割と沢山ある。『海島算経』のように、測量に特化した(九章算術の)付録もある。通常、これらを、古代中国の数学として扱うけど、『孫子算経』の冒頭を読むと、自然科学のようでもあるし、『九章算術』は、分数の約分などを除いて、大抵の問題で度量衡の単位が付いてる。これらを古代中国の理論物理学書と言っていけない理由はないと思う。そう言わないのは慣習に過ぎない。
結局のところ、初等的すぎる部分は、物理と見なされずに算数や数学扱いになるだけという気もする。多分、原始的な形態の数学の起源は、文字記録より古いものだろうから、現代の数学観と一貫性がないように見えても仕方ない。数学史とか科学史とかいう名前は、"数学"とか"科学"の現代的ニュアンスに囚われる気もするし、計算史みたいな名前の分野を用意して扱った方が適切なのかもしれない。