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ASDの恋愛を実らせられたら

今から書く話は、「ASDと躁鬱を抱えた25歳既婚女性で恋に盲目になりがちな私」の経験則による個人的見解にすぎません。

でも、恋する相手のいる人、愛する相手のいる人、好きな人を大事にしているつもりなのになぜかうまくいかない人、人によっては参考になるかもしれない。

まずここでの恋と愛について定義のようなものを書いておくとこんな感じだ。

「恋」というのは猛烈にその人を好きだと思い、自分を削ってでも何かを差し出し、見返りを求めてしまうものである。大変自分主体である。

「愛」というのはその人の生き方を大切に思い、自分を削りすぎない(場合によっては削りすぎる場合もある)範囲で何かを差し出し、見返りは求めない。基本的には相手主体である。

この恋の状態と愛の状態が入り混じっている状態が「恋愛」で、どちらかに振り切れてしまうと2人の関係はうまくいかないことが多い。

つまり、恋愛をうまくいかせる方法は、互いに多少なりとも好きと思い、大切にしたいと思い、自分と相手の求めるものを互いに差し出せる範囲で差し出し、見返りは求めない。ただし、ここで最も大切なのは、相手が求めているものが何かをよく考えることであると思う。

自分が喜ぶことは相手が喜ぶことだと思ったり、自分が好きなものは相手も好きだと思ったり、相手が一度好きと言ったものはずっと好きだと思ったりしがちである。

2人の関係のはじめのうちは手探り状態でうまくいかないこともある。でも、少しずつ気をつけていかないとバランスが崩れてくる。

「相手のためを思って」いたつもりが、むしろ相手にとって負担になっていたり、ただの思い込みやただの自己満足で終わることもある。

相手に対して何かアクションを起こす時、ちゃんと相手の様子を見る。これは押し付けでないかと確認する。

例えば、私のひとつの経験で言えば、好きな人に、好きな人のことを思っていろんなものを送ったりプレゼントしたりしていた。「好きな相手に尽くしているときの快感」を味わっている自覚はあったけれど、相手は実際のところ嬉しさよりも「お返ししきれない」という申し訳なさのほうが大きくなってしまっていたらしい。

"相手のためを思って行動している自分"だけが楽しい自覚はあれども相手にとっては負担であったということは、数年後に教えてもらって私も初めて知った。

つまるところ、好きな相手に積極的に行動しがちな人は、相手が本当に求めているもの、求めている2人の関係について熟考してから行動する、または、自分の行動について相手に丁寧に説明をできるようにすると良いと思う。

今ここまでは自分が主体的に行動するタイプの人について書いたけれど、逆のパターンについて考えてみたいと思う。つまり、自分ではなく相手が積極的に行動するタイプの人について、だ。

相手が何かをしてくれたとき、ありがたさも感じるけれど、時に罪悪感や申し訳なさを強く感じると思います。

そしてそれが積もりに積もると「重い」と感じることが多いのではないでしょうか。

もしも今後も相手を大切にしたくて、良好な関係を築いてゆきたいなら、丁寧に自分の気持ちを説明する必要があると思います。「有難いと思っていて嬉しいけど、少しずつ負担にも感じ始めている」というような。

大切な相手に対して本心を言葉にするということはとても勇気のいることですが、不満を溜め込んで突然爆発させることが一番相手を傷つける。本心を話したら悲しい顔をさせるとかそんなことは気にしなくていい、大怪我させるくらいなら。

とりあえずこれまでの話一言で言えば、恋する人も愛する人も恋される人も愛される人も「相手を大切に思うならば普段から会話を重ねて"相手=自分"だと思わずに相手を理解しようとしよう」という感じ。

ひとまずここまで。

私自身、結婚した今でも、過去のこと今のこと含め感情の起伏が激しく恋や愛についてたくさん考えます。その中でも今日はずいぶん冷静な文章が書けたものです。

今回はある意味そんな状況の私の脳内整理でもありました。

読んでくれてありがとう。

あなたのこと忘れない