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「渡辺要物語 歌は心の港」第16回  要ちゃんはあま湯のスーパースター(1)

◆渡辺要は30年余りの歌手人生のほぼ半分の年月を病気と闘いながら送った。この間、14年に渡って兵庫県尼崎市にあったスーパー銭湯、あま湯ハウスに毎月出演し、会場を満員にし続けた。出演する日は最寄りのJR駅からは長い列ができていたというほどで、今の純烈をも上回る勢いであった。

男の哀愁を歌った王道演歌
「男の浮世川」当時の渡辺要

 あま湯ハウスには後にスター歌手になる三山ひろし、市川由紀乃、純烈、丘みどりらも出演していた。その中で渡辺要は2000年から閉館する13年までの14年間、トップスターの座を守り続けた。

 同店で客席係を担当していた、当時を知る女性によると、「スーパー銭湯のアイドルと騒がれた純烈も、あま湯に出演していた頃はまだ無名で、お客も10人ほどでしたね。それに対して要さんは300人を収容できる会場を満員にしていました」という。

 あま湯ハウスが開業したのは1987年。土曜日と日曜日を中心に歌手が出演して歌謡ショーが開かれていた。そこに出演する以前の渡辺は、同じ尼崎にあったアーバン温泉アーバンリゾートクラブに出演していた。

 「アーバンリゾートに出るようになった頃はまだ無名でしたから、ギャラもなくていいから歌わせてほしい、とお願いしての出演でした。ところがしばらくすると満員になってきたので、ギャラも支払ってもらえるようになりました」(元マネージャーの渡辺希光子さん)

 アーバンリゾートが閉館するのに際して、宴会係の担当者があま湯ハウスでの出演を取付けてくれた。

あま湯ハウスに出演し始めた
頃に出した「胸の泣き虫」

 あま湯ハウスでは当初、月1回の出演だったが、後に2回に増えた。ここに出演するのに際して渡辺は「来場者が最も少ない曜日はいつか」と尋ねている。
 来場者が少なくなるのは年金支給日の前であった。そこで渡辺は「人の多い土曜、日曜日では、すでに出演している人たちの邪魔をすることになる」と、敢えてそれ以外の暇な日の出演を希望した。

 すると年金支給日前の平日であっても、会場は超満員になった。渡辺が出る日には、遠くは札幌からもファンが来てくれたほどの盛況ぶりであった。
 駐車場はいつも満車であったし、風呂も大混雑していた。

 ある日、渡辺が列車で高松から会場入りしたことがあった。駅からあま湯ハウスへの道は人があふれていた。それに混じって歩いていると、「今日はやたらと人が多いなぁ」「要ちゃんがあま湯に出るからなんや」といった会話が聞こえてきたという。

 女性ファンに至っては、早くから席どりをして、風呂に入って念入りに化粧をして香水を振り、ショーの開演を待ち構えるといった具合であった。(この項続く)
(Music news jp 曽崎重之)
@3541

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