入山アキ子、沢山の想い出が詰まった「紀淡海峡」 11月17日に和歌山で発売10周年記念コンサート
◆ あれから10年にーー。カラオケなどで根強い人気を持ち続けている入山アキ子(テイチクエンタテインメント)の「紀淡海峡」(作詞・悠木圭子、作曲・鈴木淳、編曲・前田俊明)がリリースされてから10年が経つ。入山は和歌山の後援会などと協力して、これを記念したコンサートを2024年11月17日に和歌山市の和歌山城ホール小ホールで開く。彼女の数あるオリジナル曲の中でも、「紀淡海峡」はひと際、想い入れの強い楽曲であるだけに、これにかける期待も大きい。
「紀淡海峡」を入山アキ子は「転機となった1曲」と位置付けている。発売直後のオリコンチャートは4位にランキングされたし、有線チャートに至っては1位だったという。
「まったくこれの理由は分かりませんでした。売れるための仕掛けも何もやらなかったし、それまで疎遠だった関西でのキャンペーンもしたけれど、まだ名前も知られていませんでしたので、正直言って曲が引っ張ってくれたんでしょうね」
入山はこう振り返る。
なのに関西でも人気は高まっていった。
「私にとっては歌いやすくて好きな歌なんです」と入山がいうように、「紀淡海峡」は楽曲にメリハリがあってメロディーの流れも良く、カラオケ好きな人たちにとって歌いたい歌であることが、ファンを増やした。
そんな楽曲の力もあったのだろう。歌の舞台となった和歌山以外でもカラオケを歌う人は増えていった。入山の数ある楽曲の中でもCDの販売枚数は最も多いといわれている。
この「紀淡海峡」が発売10周年を記念して、8月7日に発売された入山のメジャーデビュー曲の「ザンザ岬」のニューバージョンに、カップリング曲として「秋芳洞愛歌」と共にニューボーカル盤が収録されている。
落ち込みをバネにした「紀淡海峡」
入山がメジャーデビューした当初、マネージャーをしていたのは彼女が全幅の信頼を置いていた酒井美晴という60代の男性であった。
「紀淡海峡」の前作で、力強く生きる母と娘の絆を描いた人生演歌の「きずな道」(2013年)を発売する4年前に、酒井は医者から余命半年を宣告されていた。
ちょうどその頃、次の新曲の詞を書くことになっていた作詞家の悠木圭子も自転車事故に遭って骨折を負って筆を手にする状態ではなかった。
悠木の怪我が癒えて「紀淡海峡」が完成したときには、酒井はこれを見ることなく、14年3月に彼の世へと旅立っていた。享年66だったという。
出来上がった歌詞は ♬ 燃える夕焼け 二つの命 〜 で始まり、2番の終わりは ♬ 私ひとりで ひとりで生きる 〜 と締め括られていた。そして3番では ♬ あなたから ひとり旅立つ 旅立つ私 〜 と結ばれていた。
恋を忘れて1人で強く生きて行きますーーといった恋の歌であるにもかかわらず、入山にはすべて任せていた酒井の死によって、これから1人で歌の道を歩んでいかなければならない不安と寂しさに聞こえてきたのである。
「歌詞は酒井さんの死と重なる内容でした」
しかし悲しんで落ち込んでばかりはいられなかった。「紀淡海峡」が発売されたのは4ヶ月後の14年7月であったが、それをバネにしてステップアップしなければ、と気持ちを切り替えた。
幸いにもこの楽曲は「♬ 燃える 〜 で勢い良く始まる歌い出しが印象強くて、すぐにこれはいけると直感しました」ことが入山を元気づけたのである。
酒井が亡くなったことを入山は仕事先の愛媛県で知った。この3日後に師匠の鈴木淳に連れられて東京・六本木ヒルズでワクイ音楽事務所社長の和久井保と会うことになった。
入山のプロモーションが出来ない鈴木が、和久井にこれを依頼するのが目的であったという。当時、和久井は頼まれて小林幸子と森進一のプロモーションを行なっていたが、「すでに引退している身であるから、受けることは出来ない」と断ったという。
これより前、和久井とはテイチクの80周年記念イベントが開かれた2014年2月に会場の舞台裏で顔を合わせている。
ステージで「きずな道」を歌った後、入山はどこにいるーーと客席から探しに来てくれたという。「あちこちで入山を頼む、と声を掛けられていたんでしょうね。何故そのように何人もが頼んでくるのかが気になられたんでしょう。わざわざ訪ねて来ていただきました」
マネージャーとして前川清など大歌手を育ててきたなど業界の重鎮としても知られた和久井との出会いが、その後の「紀淡海峡」を彼女の代表曲に押し上げたほか、NHKテレビへの出演などへとつながっていく。
こうした運の強さは入山の人柄の良さに他ならないが、人を引き寄せる力がある。
和歌山のご当地ソングに
歌の舞台となった和歌山で発売10周年の記念コンサートを開き、夜は夕陽が見える会場でディナーショーも行う、といった企画は入山と和歌山の後援会が中心となって進められてきた。
代表曲と言っても、「紀淡海峡」は、まだ知らない人も沢山いる。それなのにこの1曲をもって周年記念コンサート・ディナーショーというのは珍しい企画である。
「和歌山に夕陽が綺麗な加太という小さな港があります。その町にあって、誰とも知己のない観光協会へ『紀淡海峡』を持って1人乗り込んだのが、今日に至る最初でした。そこから関係を築いて夕陽鯛使に任命されるまでになりました」
今では加太の町だけでなく、和歌山市役所をはじめ、あちこちに応援隊も出来て、カラオケで「紀淡海峡」を歌う人が増えている。今年8月には35組目の和歌山市観光発信人にも任命されている。
「これのカップリング曲が、出身地山口・美祢市の名所・秋芳洞を歌った『秋芳洞愛歌』であったことから、和歌山市と美祢市との交流も進んでいます」
和歌山と言えば古都清乃の「和歌山ブルース」があるが、これに次ぐ和歌山のご当地ソングと、入山アキ子の「紀淡海峡」が言われる日もさほど遠くないかもしれない。
(Music news jp・曽崎重之)