「三十石船哀歌」を歩く 初万歩を体験した歌手成世昌平さんと歩いた第42回歌を歩く
◆名古屋の呉服店が発祥の松坂屋百貨店(現・大丸松坂屋百貨店)がかつて大阪に店を置いていた天満橋のビルは今、松坂屋の撤退後はシティモールというショッピングビルに変わっているが、その南側の土佐堀通りから少し北へ坂道を登ると北大江公園へつながる石段がある。これはかつて京・伏見と大坂を結ぶ淀川下りの船着場として賑わっていた八軒家浜の遺構であることは余り知られていない。
「階段として作られたのではなく、水位に合わせて船に乗り降り出来るように作られたものです」
歌手の成世昌平さんはこう説明する。成世さんが2021年にリリースした「三十石船哀歌」(作詞・もず唱平、作曲・堀慈、編曲・伊戸のりお)には、伏見から下ってきた旅人たちの喧騒が聞こえてきそうなこの八軒家浜が登場する。
第42回歌を歩くは「三十石船哀歌」のルート(京街道)をたどる3回目として、今回初めて成世さんを迎えて行った。
午前10時、京阪中書島駅に集まった4人はまず、今は観光船となっている三十石船の乗船場で、かつての三十石船がどのようなものであったかを成世さんから説明を聞いた。
坂本龍馬が襲撃された事件でも知られている船宿寺田屋は土手を上がったすぐ近くにある。
当時、この辺りには数軒の船宿があったといわれ、それぞれが船を持って大坂へ行き来する客を受け入れていた。
「船の1人分の席は狭いもので、懐にゆとりのある客は2人3人分の席を買ってゆったりと旅をしたようです」
そんな当時の様子を成世さんは教えてくれた。
ここから次の目的地である淀宿(京阪淀駅)へと向かう。伏見の町を抜けるとあとは宇治川沿いに堤を歩く。途中、巨椋大橋を横切り、交通量の多い宇治川大橋を迂回して再び堤沿いの道へと戻って歩を進める。
新装された京都競馬場が見えるともう淀駅はすぐ近くである。昔の淀駅の面影はどこにもなく、綺麗な近代的な駅舎に様変わりしていた。
隣の2駅先にある橋本宿へは電車を利用した。ここは三十石船の船着場もあったし、遊郭でも賑わっていた。その遊郭の面影を感じさせる建物はちゃんと残っていた。
ステンドグラスを施した窓ガラスを設えた建物も見られ、華やかに客引きをしていた頃を想像させた。
内部は千円支払うと見学が出来るようであったが、我々はそこへは入らずに午後2時58分の電車で、ご苦労さん会の会場がある天満橋へと移動した。
この日の歩数は自宅からのドアツードアで1万8千余歩であった。
(Music news jp 曽崎重之)
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