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深山砲台跡を歩いた
先日、和歌山市加太にある深山砲台跡を訪ねた。深山砲台は明治25年に着工して、同32年から昭和20年の終戦まで使用されていた。
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加太と対岸の淡路島の由良に挟まれた紀淡海峡は、大阪湾に進入する敵軍艦を迎え撃つための重要拠点とされてきた。このため由良地区に10ヶ所、友ヶ島に6ヶ所、そして加太地区には9ヶ所に砲台や堡塁が設けられた。
今は砲台はなく、その跡だけが残っているのだが、かつて加太地区の深山砲台に設置してあったのは28センチ榴弾砲であった。榴弾砲とは砲身が短く軽量・コンパクトなのが特徴で、高仰角の射撃に向いていたという。
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放物線を描いて飛んだ
榴弾砲は平射砲と違って、弾丸は放物線を描いて飛んで行く。砲の前には胸しょうと呼ばれる低い防護壁が設けられていた。
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残されている
深山には6門編成で、3つに仕切られた区域に2問ずつ置かれていた。それぞれトンネルの通路で繋がっていた。トンネル通路や地下の弾薬庫跡は残されている。