関西~山陰の旅日記⑨ 明石とのご縁
今回は新快速が停車しただけですが、明石は私の大好きな街です。
ご縁の始まりは2年前。7月のオペラ(@西宮)チケット2枚を購入済みだったのに新型コロナでキャンセルとなり、大阪伊丹への航空券が余りました。旅行を諦めるか考えた末、大阪に行くことになり、行先を相談しました。
私は心の故郷箕面に行きたい。
家内は「30年前に高槻の友人に案内された、大阪の明石焼きを食べたい」
⇧ どこなのかは不明(苦笑)
「明石焼きなら明石でしょ!」と私は、明石出身の元同僚に情報をもらい、明石海峡大橋のタモトの超一流ホテルに3泊(新コロのお陰で格安)、新鮮な食材(蛸、鯛、鱧、などなど)を楽しみ、神戸・淡路島・徳島にも足を伸ばし、素晴らしい旅行になりました。
明石焼きは、地元の人に教わった店で3回食べて二人で満足しました。
昨年12月にツイッターを始めたばかりの泉房穂明石市長との出会いも、私の明石への思いを深めることに。 泉市長のツイートは「楽しませて引き付ける力」と「言いたいことを主張する力」の両方が強く、バランスが取れている・・・この「弾け感とバランス感」を、私も参考にさせて頂きながらブログを書いています。
さて、地政学的なお話を少しだけ。
西宮から新快速で姫路に向かうと、左手に淡路島、右手は遠くにあった山が次第に近づいてきます。
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守 (源兼昌)
百人一首の一句ですが、天の原(あまのはら/阿倍仲麻呂)、天津風(あまつかぜ/僧正遍照)との3点セットで覚えたのを思い出します。
電車は、急峻な崖を馬で駆け下りて平家を襲った「義経の逆落とし」で有名な一の谷を過ぎ、山が次第に海に迫って来て狭い隙間を通り抜けます。
「須磨の関守」がいた=ここに関所があった、そういう地形です。
「須磨の関」を過ぎると神戸市が終わり明石市に入るのかと思いきや、さにあらず。
明石駅前の楽しい商店街:魚の棚(泉市長によると「うぉんたな」と発音するそうな)の小料理屋の店主によると、1956年に神戸市が政令指定都市になる際、神戸の人口水増しの為、もともと明石の縄張りだった垂水地区(須磨の関と明石市の間)が神戸市に奪われた、のだそうです。
・・・神戸が「灘」の地名を独占したのと同じで、政令指定都市になるのに乗じて「何でも有り」だったのかも(笑)
明石海峡大橋も、明石市でなく神戸市 垂水区 舞子 が起点ですが、この橋が出来た時「明石」の名がついて、明石の人達は少し溜飲を下げたのではないでしょうか?
そもそも淡路島の対岸が「明石」だったから「明石海峡」の名がついたはずですよね。(3年前の初訪問以来、大の「明石ヒイキ」になった私です)
(続く)