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関西~山陰の旅日記⑳ 山口線で山陽へ

「益田」は初めて聞く地名でしたが、山口線への乗換駅です。
駅前のホテルで一泊して翌日の旅程を調べます。
前日の米子~益田の4時間56分の乗車後に到着(19:36)し、翌朝の始発(5:56)で、更に下関までの4時間41分に耐えるのか?
もう一つの選択肢は山口線、2時間24分で山口を通って新山口(新幹線・山陽本線乗換駅)へ。
山口・・・戦国大名の大内義孝が京の町を模倣した町を作り、都から天皇を迎えるための玉座まで作っていた(その後毛利元就の勢力下へ)という町・・・を見たい気持ちもあり、山陰本線の旅の続きは未来に残し、山口線に乗り込みました。

ディーゼル車ののんびり旅が続きます。
途中、晴天なのに田園と山に濃い朝霧がかかった幻想的な風景が続きました。(写真) 山口までの1時間40分は山陰の雰囲気が続きました。
ところが山口が近づいて乗車してきた人達でガラリと雰囲気が変わり、賑やかで、せせこましく、明るい都会になりました。
密かに「都会は嫌だね」と心の中で呟いていた私。
陰陽五行説では、世の中は「陰」と「陽」が共存して成立つそうです。
「山陰」と「山陽」、誰が言い始めたのか、絶妙な命名だと思いました。

古都山口はそれなりに開けていましたが、特に目に付くものは有りませんでした。
 そう言えば山口より手前で津和野駅に停まりましたが、車窓から見る限り「何故この町が大旅行ブームの対象だったの?」と不思議に思いました。
(数十年前、萩・津和野は「猫も杓子も」という程の旅行先でした )

(続く)

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