弱ったら立ち上がるだけ
週のうち7日間働いていて、用事が出来た時と限界が来た時にだけ休むようにしています。連絡をマメにとる友人は2人ほどしかいないので、用事はあって月に2回。6時半に起きて、セブンイレブンにコーヒーを買いに行く。早朝勤務の店員さんは顔ぶれが大体決まっていて「お互い早朝からご苦労さんなことですね」と脳内で言って勝手にセルフ慰めをします。そこから作業と日銭を稼ぐ仕事、昼過ぎにジム、戻ってから夕食の買い物と準備、そして仕事と作業を繰り返して20時くらいに夕食。食べ終わったらへとへとで、最近は21時半に布団へ。そんな毎日は僕にとって奇跡みたいです。
長野にいた数年前、仕事もせずお金も無くやることもありませんでした。寝るか、泣くか、TSUTAYAが併設されているタリーズにいって本を読んでpcを打って、仕事してます感をだすか。やることがないのはすごく辛くて、世のなかに取り残された感覚と、次第に減っていく自己重要感とで死なずとも生きていない感覚でした。札幌時代の職場の上司がブログで「年寄りは教育(今日行く)が大事」と書いていたんですが、やることがない人にも大事なことです。
やることが無いと自身の活力の関係は繋がれた試験管みたいで、一方の水位があがるともう片方もあがるようにできていると思っていて、ゼロだと自然と活力が下がります。なのでやることがある今が嬉しいです。
生きていることは自分の枠組みを増やしたり、活動の閾値を上昇させることが必須だと考えています。筋トレと同じで漸進性過負荷の法則で少しづつ重量(できる量)を増やしていく、その設定重量が大事です。今の生活は本当にギリギリで、少しの生活の乱れでひとたまりもなく潰れます。前回は12日間で潰れ、今回は早く6日目で迎えました。毎度毎度あの最低な時期に戻るんじゃないかって不安です。でもその時ですら戻って来られた経験があって、時間はかかっても必ず戻れます。今は時間が惜しいので、その潰れを最小限におさめるのに腐心しています。だから筋トレも睡眠も栄養も大事。ありふれていてもう手垢が付いたフレーズですが、頑張ろうとする人程日々の生活が大事です。
もし潰れても大丈夫だし、潰れないように今日も生きていくだけです。
少しお恥ずかしい文章ですが、自分への喝です。
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