人気者になるには
まぁあきれるくらい毎日自分のために生きています。朝起きて、仕事をして、ジムに行って、ご飯を食べての繰り返しなので他人と話す機会が殆ど無く、他者貢献しようが無いと言った方がいいのかもしれません。
僕の担当教授が「高校球児は最後に地域のみなさんに喜んでもらえるよう頑張りますっていうだろ、あれが究極なんだよ」と地域経済の文脈で言っていました。その時はなんて抽象的で意味のない議論だろう、と思っていました。今になって考えるとJリーグも選挙も地域密着、とか地元に貢献を謳っていますよね。これを紐解いてみると地域=地域住民や地元企業=子供が育つ場所=生活の場の根幹にあるもの、だから大事という構図なんだと思います。言うまでも無く町内会的コミュニティは淘汰されつつありますが。
僕は今の力の無さによるものかもしれませんが、頭の中で「こういう人のためになる行動ができたらいいな」と思いながら作業はしていますが、大手を振って言いはしません。だって、他者のためになることが必ず自分に返ってくると思っているので、そこを敢えて言うとダサいというか、嘘っぽくなるような気がしています。
その嘘っぽさというか平べったさの原因を考えます。地域貢献など公共性というトピックは広い概念を網羅しています。それを言葉として発信すると焦点が定まらず、具体的にどういうこと?となりますよね。それなんだと思います。
サザエさんのじゃんけんコーナーってありますよね。番組最後にジャン、ケン、グー!ウフフフ、のやつです。あれって、何で生まれたんでしょうね。ラジオでオードリーがめざましじゃんけんの話をしていて、疑問に思いました。そういえばヒカキンさんもやっていた気がします。サザエさん、めざましテレビ、ヒカキン、これ、地域に貢献したいです!のやつと似ていませんか?幅広い年代に認知されていて、こう、毒気のないというか、公共性のあるような、あの感じ。絶対的に人気があるのに、拡散された偶像で、誰もが「何となくいいよね」となるあの感じ。多分これも公共的平べったさです。
もうひとつ例を挙げてみます。僕の知り合いの24歳の女性です。大学でよさこいサークルに入って、夏はフェス冬はスノボ。社会人になってからすぐゴルフを始めて同期と仲良し。インスタ投稿は欠かさない。友達大事で、親も地元も好き。憶測ですが、彼女は世界の全員に嫌われたくないんだと思います。ただその分アイデンティティの拡散が起こります。みんなが好きそうなものが好きで、色々なものに手を出して、ふと一人になった時にあれ、となる感じ。彼女とサザエさんとの違いは、公共性まではその人気が至っていないことです。
そこから考えてみると、初期のサザエさんは尖っていました。障害は政府の責任だという発言があったり、ハイルヒトラー!を模倣するような描写があったりです。時代が許した側面もありそうですが賛否両論を越えた末に、暖かい家族ものとして現在まで存在しています。ヒカキンさんもコロナ渦中で手を洗おうと言うまでに、ボイパばかりしていた時もありました。
多分ですが、サザエさんもヒカキンさんも最初から美辞麗句を宣うようなことはしていなかったはずです。
何が言いたいかと言いますと、もし人気の公共性を得たいなら、平べったいことを言っても崇めらたいなら、まず現在の自分を嘘偽りなく発信していくでしか成し得ないと思います。その過程に薄く広まる瞬間があるはずです。
まぁ人気ほぼゼロの僕が言うのもおこがましいんですが、そんなことを考えたよ、位の話です。
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