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考えすぎは、自慰行為と業務スーパーの麺に似ている、という話

相変わらず仕事と筋肉に忙殺されている毎日です。言い訳です。不定期更新と言いながら、ふと思いついたときにしか書けていません。
まぁ諦めずに続けていく所存です。

最近友達に「なんか人生うまくいかないやんけ!ふざけんなよ」って気持ちになることない?と聞いたら、3日に一回位あると返ってきました。人生を変えたいのに、中々思うように進まない。人生なんてそんなもん、と言ってしまえばその通りなのですが、これ結構しんどくないですか?
そうなってしまうたった一つの理由を僕は知っています。
考えすぎです。本当にそれだけです。

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、自慰行為と筋トレと考えすぎって似ていると思いませんか?どれも人と関わらずにできて、1人で物事が完結するんです。自慰行為に比べてセックスって難しすぎワロスって毎回なります。見えない他人の勘所を抑える必要がある。一方で自分も当然良くなりたい。比べて自慰行為は自分の好きなように赴くままにやればいい。
考えすぎも筋トレも考えすぎも、やりすぎはNGです。オーバーワークは筋肥大にとって逆効果、自慰行為はテクノブレイク。考えすぎは自死にまで至ると思っています。

自慰行為の話はさておき、考えすぎの話です。どんな時に考えすぎてしまうかというと「理想の自分になるために、〇〇をしよう!」計画です。色々なことが浮かびます。お金、能力、恥・・・。キリがない。僕を含む考えすぎる人々は、コスパの良い、誰にも邪魔されない思考に逃げ込みます。
リスクマネジメント的に、可能性を模索するのに使うのであれば建設的ですが、思考をしているだけでは物事の帰結がどうなっていくかは分からず不安だけが積み重なります。
じゃあ考えないで行動できる人の回路はどうなっているのでしょうか。これは推測なのですが、決断に論理的思考をしていないと思っています。
何となくやってみる、とか、多分大丈夫、といった類の見切り発車スタイル。考えてみると、これまでやって良かったなと思うことは、全てとりあえずやってみて、何とかなった場合が多い気がします。youtubeも何とか続けられているし、東京にバックパック一つで来た時は、後先なんて考えていませんでした。ただ、どちらもやって良かったと思っていますし、上手くいっていると思っています。
じゃあ何故なぜやめられないのか。考えてみます。
それは業務スーパーで売っている麺に似ているなと思います。すごくすごく安いじゃないですか。中華麺1玉19円。コスパはすごく良いけど、それが食べたいか、と聞かれたら違う。買う理由は安いから。
ハナマサで売っている300円の麺を買い続けても破産はしません。もしかするとハナマサ麺の方が人生単位で見ると幸福度が上がりそうです。ただ、目の前の数字、論理的な説得力に抗えないんです。
考えすぎの話に戻ります。長期的な観点から言って、論理的思考をせずに行動をしてみる方が多分幸せ。
とりあえず簡単な、面倒じゃない「考える」に着陸します。考えすぎるとしんどくなるのに、動けなくなってしまうのに。
深夜、光に吸い寄せられて爆ぜる虫のようです。
最後に一言自分への戒めで締めます。「考えるって別にコスパ良くないからな!!」

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