【第14回】代々木へ、こども向けからアダルトまで
カメラマンのMに手をひっぱられつつ、代々木駅周辺で5万8千円のアパートの2階を借りることになった。
近所の材木屋で板を買ってきて、自分たちで床を張り替え(大家には言ってない)、壁にペンキを塗って、机を組み立てて事務所らしくなっていった。
代々木時代の5万8千円のボロアパート。色がきれいに塗り替えられていた。階段を上がった2階が俺たちの根城だった。
仕事は相変わらずそんなに無かった。恵比寿のニートから現実へ引き戻してくれたカメラマンのMは相変わらず忙しそうだった。
引越からしばらくして、友人知人を介してなんだかんだ仕事が廻ってきた。(こども向けの教材、メンズストリート誌など)代々木に引っ越した途端に急に仕事が廻りだして来たのだ。
もちろん、相変わらず一度も営業には行かなかった。
すこしばかり忙しくなっていたので、初のアシスタント募集の貼り紙を某デザインの専門学校に貼ってもらった。応募には一人だけ、小柄な青年がやってきた。名前はコイミー。
「イラストレーターを志望してて、絵を描く時間を確保できるなら働きたい」と申し出て来た。その当時払える給料は10万円ぽっきり。あまりにも安いので、空いた時間はイラストを描く時間に当てていいよということで、1年前までニート状態だった俺が人生初のアシスタントを持ったのだった。
なんとなく定期的な仕事が増え、昨年より8倍くらいの売り上げになっていた。要因は全くわからない。思い当たるといえば、恵比寿から代々木に引っ越したという事実だけだった。
ある日、前職のころの同期からあるアーティストのコンサートパンフのコンペに出ないかとありがたい依頼を受けた。俺はこのチャンスを勝ち取るべく、アシスタントのコイミーと共に、そのアーティストが写ってる雑誌などを買いまくり、コンペ用のカンプを作り始めた。そのアーティストの楽曲など一度も聴いたことがなかったが、完全無視して自分が想像しうる限りのイメージを徹夜で作り上げた。コンペ当日、原宿の事務所で本人を前にプレゼンテーションを行った。その模様は全く覚えていない。
結果は合格。デザイナーとして初めて三桁のギャラをもらったことだけは鮮明に覚えている。
官能の世界へのこだわり
アーティストのコンサートパンフ、メンズストリート誌、カッコいい仕事ばかりをしていたわけではない。
前職でDTPの使用不使用でよく言い争っていた、印刷会社の営業の人から1本の電話が入った。
「原さん、仕事頼みたいんですけど時間あります?」
「お久しぶりで〜す。全然いいっすよー」
打ち合わせ当日、印刷会社の営業と一人のおじさん(DVD制作の社長だった)がやってきた。
「じつは、これなんですけど」
テーブルの上に置かれた、アダルトDVDのパッケージの山。
「月7本、1本あたり10万でやってくれませんか?」
月7本、1本10万円。月で70万...。「やります...」即答した。
アダルト系はやったことがなかったが、とりあえず、アダルトDVDコーナーを巡ってリサーチを始めた。(意外と真面目なんです)タイトル文字の作り方、写真のレイアウト、色使い。アダルト系といえど、結構法則があった。
印刷のテクニックだと、基本CMYKで構成されるのだが、M版を蛍光ピンクにすると、女優の肌がピンク色になって良いとか。黄色をメインに使うと売れないなどなどだ。
写真はアダルトビデオ会社に行き、映像のスチール撮影の写真を大量に見させてもらい、使いたいものを選んでもらってきていた。その写真をスキャニングして、自分でひとつひとつモザイクをかけていく。まぁいろんな裸の写真を見続けるとなんとも思わなくなってしまうものだ。
さらに、デザイン以外もやることになった。タイトルだけはあるのだが、煽りのキャッチコピーなどがなかった。それも俺が考える。文章力もなく、ましてや男性諸君の血流を上げるようなコピーセンスもない。ある日、会社に向かう途中に一冊の小さな本が道の真ん中に落ちていた。官能小説の文庫本「フランス書院」だ。
おもむろに手にとって、パラパラめくると巻末に各ラインナップの紹介がある。そこに60ワードくらいのコピーがラインナップごとに書かれていた。
「これは使える...」
そのコピーの文字をいろいろ組み合わせて、キャッチコピーを作っていた。
「濡れた〇〇の、ぞっこん云々...」って具合だ。
ファッション誌や子供向け教材の仕事を受けていたので、アダルトDVDを作っている時に、他のお客さんがくると「コイミー、モニターの電源切って!」とアシスタントにモニターの画面を消させていた。
半年くらいその仕事はやっていたのだが、このままやってても人に言えるような仕事じゃないし、お金にはなるけど続けていたらマズいなと思い、アダルトの仕事は半年をもって終止符をうった。
代々木の溜まり場、仲間と共に
仕事も順調に増えていた代々木のボロアパートはいつしか、ライターの仲間やいろんな友人の溜まり場になっていた。みんな、なんやかんや雑誌の仕事をやっていて、それが終わると夜な夜な集まってきていた。最高で8畳間に10人くらいが仕事したり、くだらない話をしながら過ごした。
ある日、某出版社から上司のスキンヘッドの男と、よく爪を噛んでいるアシスタントの編集者がやってきて、ムック本を1冊作ってくれないかと依頼がきた。
内容はその当時流行っていた渋谷109のギャルファッションで、今はなき「セシルマクビー」と「cocolulu」という2ブランドを扱ったムック本だった。
まるまる1冊雑誌をやるという経験はなかったが、編集も撮影もデザインもまるっと俺たちでやることになった。
夜な夜な集まってきていた友人たちとの共同作業がはじまった。
(つづく)