ハワイ紀行 (1) 越川芳明
カハラオプナの絵:Kahalaopuna – Mele Murials – ©Foto Gérard Koch, 2017
マノア渓谷
二〇二一年の秋、僕は成田からホノルルに飛んだ。
滞在は六ヶ月の予定だった。深刻な新型コロナ禍のなか、出発七十二時間前のPCR検査を義務づけられていた。帰国の際にも、ハワイと日本でPCR検査をしなければならなかった。そんなわけで、ハワイには日本からの観光客はほとんどいなかった。
僕が住んでいたのは、ワイキキビーチからゆるい傾斜地を登っていった、山に囲まれたマノア渓谷(ヴァレー)というところだった。「マノア」という名前の由来は、先住民の言葉で「広大な(名詞としては広大)」ということだった。(1)
どうして先住民はそうした名前をつけたのだろうか?
マノア渓谷にある住宅地を三十分ほど山に向かって歩いていくと、やがて家が途絶える。そこから、さらにトレイル(散策道)の入り口までいくと、巨大なユーカリの木やバニヤンツリーが聳そびえたつ、うっそうとした森になる。太古をおもわせる森の中の小径をもう二十分ほど登っていくと、木々のあいだにマノアの滝が見えてくる。日光の華厳の滝の半分ほどしかないが、それでも、ホノルル近辺では、手軽にハイキングができる名所なのだ。
こちらに来て一週間ぐらい経った天気のよい日に、マノアの滝まで歩いてみた。コロナ禍とはいえ、アメリカ本土からの観光客は少なからずいて、トレイルを散策していた。来ている人はだいたいが一人か二人で、多くて四、五人のグループだった。
滝につうじる小径を登っていると、背後からにぎやかな十人ぐらいのグループが僕を追ってきた。僕を追い越していくかれらの大きな声が僕の耳に入った。聞き慣れたスペイン語だった。
トレイルを下まで降りてくるとき、ちょっと開けたところがあり、僕はそこのベンチに座って休んでいた。すると、さっきのにぎやかなグループが降りてきた。僕は一人の若者に向かってスペイン語で聞いてみた。
「キューバから来たの?」
「ロサンジェルスからだよ」と、その若者が率直に答えた。「いまはワイキキのホテルに泊ってるんだ」
こんなパンデミックの時代に、わざわざキューバからロサンジェルス経由で観光にやってきたとも思えない。
カリフォルニアに移民した家族と知人なのだろう。
僕はそう推測したが、それにしても、ハワイでこれほど大勢のキューバ人に会うとは思わなかった。
さて、この山の近辺を水源とするマノア川ストリームは、かつて主食のタロ芋(カロ)の畑に豊富な水を提供していたようだ。
そうでなくても、マノア渓谷は雨の多いところで有名だ。そのため木々や植物がよく育ち、周囲の山々が緑に覆われている。一九九一年から二〇二〇年まで三十年間の調査による年平均降水量を見てみると、マノア渓谷は約三千八百ミリだ。日本(全国平均)は約一千六百ミリ。マノア渓谷の雨がいかに多いかがわかるだろう。(2)
しかも、頻繁にマノア渓谷を跨またぐように大きな虹がかかる。だから、ここは素敵な「虹の谷(レインボー・ヴァレー)」の異名を持つ。
統計的に見て、一年で一番雨の多いのは十一月で、暴風雨のなか、車のない僕は外出できなかった。一日中、暗い家のなかに閉じこもっていると、わざわざハワイまでやってきた甲斐がないように思われた。
マノア渓谷の雨を知るためには、この土地の地形について触れなければならない。
オアフ島には二つの火山がある。二つともいわゆる「楯状たてじょう火山」で底面積が広く、ゆるやかに傾斜する斜面を持っている。楯状と言うのは、兵士が防御のために持つ楯のような形状をしているからだ。
マノア渓谷は、そのうちの一つ、「コオラウ火山」の形成とかかわる。約四百万年前に、コオラウ火山は、ホットスポット(マグマ溜まり)の上に海底火山として誕生し、二百九十万年前に海上に顔を出した。そして、約二百万年前に、コオラウ火山が噴火し、そのときの溶岩が現在のコオラウ山脈を作りあげた。
コオラウ山脈には、コナフアヌイと呼ばれる二つの山頂(約九百六十メートル)があり、それらはマノア渓谷の最北西のてっぺんになる。
マノア渓谷に風や雨が多いのは、北東のほうから海上をわたってくる貿易風がコオラウ山脈のてっぺんにぶつかり、蒸気が吹き上げられて凝縮し雲になり、上空で冷やされて雨となって降り注ぐからである。
マノア渓谷の雨と言っても、降水量には差がある。僕の住んでいた山側のほうが圧倒的に多く、渓谷の下のほう、山より十キロ先の、現在ハイウェイ一号線が通っているあたりは、山の半分ぐらいしか降らないようだ。
カハラオプナの神話
昔、ハワイ王国の人たちは島の風土を、海や火山、風や雨などを擬人化して捉えていたようだ。デイヴィッド・カラカウア(ハワイ王国第七代目の、最後の国王。在位は一八七四年から一八九一年)のまとめたハワイの神話の中に、マノア渓谷の風土にまつわるものがある。(3)
この神話は十七世紀の半ばごろのマノアを舞台にしているようだ――
マノアの風(カハウカニ)とマノアの雨(カアウクアヒネ)は、双子の男女きょうだいだった。かれらを養子にとった里親は、二人が長じるに及んで結婚させることにした。
やがて二人のあいだに子供が生まれた。女の子で、カハラオプナと名づけられた。
短く略して、カハである。
カハは、マノアの風と雨のあいだに生まれた子だった。すくすくと育ち、やがてこれまでに誰も見たこともないような絶世の美女となった。顔は明るく輝き、家の外までその光が抜け出てくるのだった。泉で水浴びをすれば、彼女のまわりに、まるで後光のような光ができるのだった。
カハの両親は、彼女が子供のときに、カイルア(オアフ島で、貿易風が最初に上陸する風上の地域)の若い酋長、カウヒと婚約させた。
カハの美貌の噂を聞きつけて、近隣の若者たちは彼女をひとめ見ようと近くまでやってきたが、その願いはかなわなかった。二人の若者がいた。カハに会ったことはなかったが、噂話から彼女に恋してしまった。二人の若者はマイレの葉のレイを作り、それを身にまとい、ワイキキに行き、水浴びをしながら、自分たちが美女の愛を勝ち得たとふれまわった。
この島の誰もがかれらの言葉に驚いた。カハの婚約者のカウヒもその一人だった。カハとの結婚の日は近づいていたが、カウヒはまだ一度もカハに会ったことはなかった。それが二人のあいだの掟だったのだ。
婚約者のカウヒは二人の若者に嫉妬して、強い怒りにかられた。そこでカハを渓谷の奥に連れだして、大きなアダンの実で、彼女の額を殴りつけ、彼女を殺してしまった。岩場の下に穴を掘り、彼女を埋めた。
カウヒがそこを立ち去るとすぐに、フクロウに姿を変えたカハの親戚の死者の霊があらわれて、カハを穴から掘りだし、彼女を生き返らせた。生き返ったカハはカウヒを追いかけて、歌を歌って、どうして自分を殺そうとしたのか聞いた。
カウヒはマノア渓谷の隣のヌウアヌ渓谷まで彼女を連れていき、そこで彼女を殺して埋めた。今度も、フクロウがあらわれて、カハを生き返らせた。カウヒは、カハが生き返るたびにマノアから遠ざかるように西へ西へと連れていき、繰り返し彼女を殺した。
とうとう海の近くのエバのあたりで、彼女が五度目の死を遂げたとき、フクロウも力尽きてしまい、もはや彼女を生き返らせることはできなかった。ところが、緑色の小鳥に姿を変えたカハのいとこの霊(エレパイオ)がそれを目撃して、カハの両親(マノア渓谷の風と雨)のところへ飛んでいき、事情を残らず話した。
一方、カハの亡霊は、幸いそこを通りかかった一行を見つけた。その中に、一人の若者がいて、マハナといった。マハナはカハの亡霊に同情して、亡霊の言うとおりに、ある木のもとへ行き、そこを掘り起こすと、果たしてカハの遺体があった。遺体を肩にかけていたスカーフで包み、マイレの葉で作ったレイで覆うと、モイリイリの自宅まで運んだ。
マハナは兄にカハの遺体を託した。兄は自分たちの亡くなった姉妹の霊を呼び出して、彼女たちの協力を得て、カハを生き返えさせたのだった。マハナたちはこのことを秘密にしておいた。
カハの両親は、緑の小鳥から聞いた話から、殺人の罪でカウヒを訴えた。カウヒは捕まり、国王が臨席して裁判にかけられることになった。その裁判には、殺されたカハも呼ばれて、証言をすることになった。
カウヒは一計を案じ、仲間の者にカハが座るところに「サルの葉」を敷きつめるように頼んでおいた。カハがやってくるといっても、どうせ亡霊だから、「サルの葉」が乱れることはない。亡霊の証言など、裁判では重んじられることはない。そうカウヒは踏んだのだった。
マハナの姉妹の霊はそのことを知って、カハにアドバイスを与えた。裁判の席に着いたら、力いっぱい「サルの葉」をちぎるのよ、と。自分が生きた人間であることを証明するのよ。
かくして、裁判でカウヒは負けてしまい、死刑になった。死んだカウヒの魂は、人喰いザメに食われてしまった。もはや人間として生き返ることはできなくなった。
マノアの王女カハは助けてくれたマハナと結ばれたという。
マノア渓谷の虹
このカハラオプナをめぐる神話からは、ハワイ王国の人々が持っていた世界観をうかがうことができる。それを一言でいえば、霊魂は不滅であるという考えである。
それはまた、この地球は生きた人間たちだけのものではない、という考えでもある。死者の霊魂は、ときには動物や鳥や植物の姿をとってこの世界にあらわれ、生きた人間と交流する。
死者の霊魂を呼び出す特殊な能力を持った人は、通常シャーマンと呼ばれるが、ハワイ王国では、かれらは貴族を頂点とする厳格な身分制度のもとで、「カフナ(神官)」と呼ばれる位についていた。この神話では、カハを助けたマハナの兄が死んだ姉妹の霊を呼び出すので、カフナであったのではないだろうか。
十九世紀末に、ハワイがアメリカ合衆国に併合され、キリスト教徒たちに支配されるようになると、先住民の言葉も文化も未開なものと見なされた。ハワイの神話に見られるような世界観も、アメリカ流の実利主義によって脇に追いやられた。
しかし、ときを経て一九六〇年代後半以降にようやく、本土の先住民の運動に刺激を受けるかたちで、ハワイでも先住民による主権回復運動が活発になった。
おかげで、もともとハワイ王国の国歌だった「ハワイイ・ポノイ」という歌が、一九六七年の州議会でハワイ州歌として正式に定められた。「誇り高いハワイの民よ/王をあがめ讃えよ/この国を治める/君主である王を」と、英語ではなくハワイ語で歌われる州歌である。
そして、きわめつきは、一九九三年、クリントン政権下の合衆国議会がかつてのハワイ併合を違法だったと認め、ハワイの先住民に謝罪したことだった。
十一月中旬にマノア渓谷が暴風雨に見舞われたことがあった。その数日後に、地元が発行している新聞に興味深い記事が載った。(4)
フィリピンにベースを持つキリスト教組織の指導者たちが逮捕されたらしい。それは「イエス・キリストの王国」という団体で、逮捕されたのは、オアフ島第二の都市カポレイにオフィス(教会)を構えるフィリピン女性だった。
容疑は、その団体の創設者(教祖)やその他の幹部とともに、フィリッピンから十二歳から二十五歳までの少女や女性をアメリカに移民させ、性奴隷にしていたことだった。
犠牲になった女性たちは、教祖の食事の世話や部屋の掃除、「夜の義務(おつとめ)」として教祖とのセックスの相手を強制されていたという。幹部の指示に背けば、神による「永遠の天罰」を受けると脅されていた。にわかに信じられないことだが、一九八五年に創設されたこの似非(えせ)宗教団体には、信者が六百万人もいるらしい。
おそらくフィリッピンで貧困に喘あえいでいる家族や女性たちを、実家に仕送りができると説き伏せ、あの手この手をつかってアメリカに移住させたのだろう。いざアメリカ(ハワイやカリフォルニア、ネバダなど)にやってきたら、パスポートを取りあげ、逃げられないようにした。このように宗教を騙かたって、貧困女性たちの弱みにつけ込むのは、誰が見ても、労働搾取(さくしゅ)であり性搾取であり、悪質な詐欺である。
フランツ・ファノンを持ち出すまでもなく、「あらゆる形態の搾取は同一」(5)であり、犠牲になるのは、社会で一番弱い貧困女性である。
同じように霊魂の不滅を説くものでも、カハの伝説と違って、こちらの似非宗教組織では、霊魂は信者の不安を煽(あお)ったり、信者を脅(おど)かしたりする道具でしかない。
僕が住んでいた家から徒歩で十分ぐらい行ったところに、市民のための大きな運動公園があった。少年野球場が二面、アメリカンフットボール場が二面、テニスコートが二面、ほかに、キャンプ場や幼児の遊び場、体育館やプールもある広大な敷地である。夕方には、地域の人たちが散歩したり、犬を放し飼いにして遊ばせたりしている。北東側にはコオラウ山脈が迫ってきていて、夕日がその山並みを照らして赤く輝くのだった。
夕方になると、ゴルフのクラブを二本持って、公園に出かけるのが僕の日課だった。運動不足解消というか、気分転換も兼ねて、ひとけのない雑草の生い茂ったところで、素振りをした。赤く照らされた山に向かって、クラブを振っていると、よくめざとい犬に見つかって、追いかけられた。訓練された犬たちは僕のことを、凶器を持ったあやしい奴だと思ったに違いない。
ときどき、出がけに雨の気配はなかったものの、公園に着くころに霧雨が降ってくることもあった。そういうときには、少年野球場の屋根つきベンチ(といっても、金網の檻おりみたいなところ)に入って、雨宿りをした。しばらくすると、マノア渓谷を跨またぐように、空に虹がかかってきた。虹がかかると、まもなく霧雨は止むのだった。
そんなとき、僕は思った。
何度殺されても、この世の不条理に負けずに、死者の霊力で生き返った美女が空に浮かんで明るい笑顔を見せてくれているのだ、と。と同時に、美女は似非宗教組織の犠牲になった女性たちも助けてくれたのだ、と。
マノアは、その名の通り、広大な渓谷である。だが、渓谷にかかる虹はもっと大きい。先住民たちは、虹に転生したカハラオプナの、不滅の命に敬意を称してここを「マノア(広大)」と名づけたのかもしれない。
(つづく)
註
(1) “Manoa Valley.” https://imagesofoldhawaii.com/wp-content/uploads/Manoa-Valley.pdf 11/07/2022
(2) マノア地区の年平均降水量:“Summary of Monthly Normals 1991-2020.” https://www.ncei.noaa.gov/access/services/data/v1?dataset=normals-monthly-1991-2020&startDate=0001-01-01&endDate=9996-12-31&stations=USC00516128&format=pdf 11/07/2022
日本の年平均降水量(全国平均) https://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/726941_6627814_misc.pdf 11/20/2022
(3) King of Hawaii David Kalakaua, The Legends and Myths of Hawaii,pp.715-733.
(4) “Kapolei Woman Accused in Church Sex Trafficking,” Honolulu Star-Advertiser, November 19,2021.
(5) フランツ・ファノン(海老坂武・加藤晴久訳)『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、1998年)、111ページ。