[勝てる投資法]-相手をよく知り、ポートフォリオをしっかり構築しよう-
文禄・慶長の役の直前、日本では豊臣秀吉が政権を握りました。
豊臣秀吉が政権を握って最初に行ったのは、土地の測量と収穫量の調査でした。
当時の日本の税制は、領主が部下である侍に任意の税率を伝え、その都度税金を徴収して上納するという仕組みでした。地域ごと、領主ごと、時期ごとに税率が異なる状況でした。
また、税金を政府が直接徴収することもありませんでした。農民は村長に税を納め、村長は農民から集めた税金を侍に渡し、侍がさらにそれを領主に上納し、領主は一部を将軍に納めた後、残りを自分で使用するという仕組みでした。
中間の役割を果たす者が多ければ多いほど、価格(税率)は上昇するものです。
例えば、将軍が税率を30%と定めた場合、領主は自分の取り分を確保するために侍に50%を課し、侍は60%を徴収してそのうち10%を自分の利益として取り、村長も余裕を持たせて税金を取り、さらに上乗せするという構造になっていました。
その結果、日本の農民は収穫量の67%から80%を税金として納めることを強いられていました。
一時期、北条氏が税率40%で徴収したことがありましたが、農民たちはこの40%という税率に感激し、それが北条氏を侵略した秀吉に対して決死の抗戦を行った原因の一つとなりました。
秀吉はこのような多段階の課税制度を一元化し、直轄地では50%、その他の地域では70%(生産量の3分の2)を徴収しました。この比較的低い税率により農民たちの支持を得て、最終的に日本全国を統一することができました。
その当時、朝鮮では「結付制」という方法で税を徴収していました。
結付制とは、1結から米300斗を生産できるとみなし、そのうち25%にあたる75斗を税として徴収する制度です。
土地の状態によって米の生産量が異なると考えられていたため、土地を等級別に分け、1等級の土地は2,983坪、2等級は3,241坪、3等級は3,930坪を1結とみなし、等級に応じて税に差をつけて徴収していました。
文禄・慶長の役(「朝鮮出兵」)を起こした豊臣秀吉は、優れた頭脳を持っていましたが、十分な情報を持ち合わせていませんでした。
彼は日本国内で低い税率によって農民の支持を得ていたため、朝鮮の農民にも同じ方法で支持を得ようと考え、部下に画期的な税率を指示しました。
秀吉は「朝鮮の農民には日本の半分の税金だけを課せ。降伏すればさらに下げてやれ」と命じました。
秀吉の命を受けた部下たちは、朝鮮の農民に対し「税率は40%とするが、降伏すれば30%に下げる」と告知しました。
80%もの税金を支払っていた日本の農民と比べれば半分程度の税率ではあるものの、豊臣秀吉にとっては可能な限り低い税率でしたが、朝鮮の農民にとっては、それまで25%の税金を支払っていたところを30~40%に引き上げられる形となり、大幅な増税と受け取られることになりました。
このため、朝鮮の農民たちは日本の税率に対して一斉に憤慨しました。
文禄・慶長の役の際、朝鮮で農民義兵が次々と立ち上がった理由は、朝鮮王朝への忠誠心ではなく、税金の問題だったと考えられます。
これは「お金が重要である」ということを示しているだけでなく、物事を詳細に考える際には、相手もその事情を理解している必要があるという意味でもあります。
単に「自分が良くしてあげれば、相手も同じように返してくれるだろう」という漠然とした期待は、思ったほど実現率が高くありません。
人間は想像以上に感謝を忘れやすい、利己的な生き物だからです。
相手の状況や性格、そしてお金に関わる損得を明確に把握しながら進めていくことで、良い結果が得られる可能性が高まります。
「デジタルの父」と呼ばれるアメリカの数学者兼コンピューター科学者がいました。彼はMIT大学院在学中に、0と1を用いた二進法やビットを通じて情報を伝達する方法を考案し、それを修士論文として提出しました。この論文は歴史上、最も優れた修士論文の一つとして評価されています。
第二次世界大戦中、彼は暗号解読者として活動し、地上から航空機を正確に照準し攻撃できる高射砲用照準器を発明しました。この発明によってドイツの爆撃機からイギリスを救うなど、多方面にわたる発想力を発揮し、アインシュタインやジョン・フォン・ノイマンと並ぶ20世紀の「三大天才」と称されるようになりました。
彼の名前はクロード・シャノンです。
シャノンは第二次世界大戦が終結した後、ベル研究所に勤務し、研究所の同僚であるケリーやソープとともに娯楽としてギャンブルの研究を始めました。
彼らは独自に開発したギャンブル理論を用いて、カジノのルーレットやブラックジャックのテーブルで次々と利益を上げ、その研究成果をアメリカ数学協会に寄稿しました。その勝率の高さから、最終的にカジノへの出入りを禁止されることとなり、カジノ業界はルールを変更せざるを得なくなりました。
カジノへの出入りを禁じられたシャノンは株式投資に興味を持ち、研究を始めました。そしてある若者と出会い、株式投資の方法を教えるようになりました。
シャノンはその若者を指導する中で彼の才能を見抜き、「彼は地球上で最も裕福な人物になるだろう」と予言しました。
これは1960年に起こった出来事です。
その若者はウォーレン・バフェットでした。
シャノンは理論を研究し教えるだけでなく、自らも実際に株式投資を始めました。
弟子であるウォーレン・バフェットは1965年以降、30年以上にわたり年率27%の利益を上げ続けましたが、師であるシャノンは1950年から1986年まで、配当を除いて年率約28%の利益を達成しました。配当を含めた長期投資の収益率では、バフェットをはるかに上回っていたのです。
シャノンが企業を選ぶ基準は次の通りでした。
「会社の経営陣を評価し、その会社の製品に対する将来の需要を予測すれば、数年後にどれだけの利益が増えるかを見積もることができる。重要なのは、過去数か月や数年間に株価がどれだけ変動したかではなく、過去数年間の利益がどのように変動したかである。」
彼はこの基準に基づき、たった3つの企業の株式を購入し、保有しました。それがテレダイン(Teledyne)、モトローラ(Motorola)、そして**ヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard)**です。
テレダインの株を1株あたり0.88ドルで購入し、300ドルで売却。
モトローラの株を1株あたり50セントで購入し、40ドルで売却。
ヒューレット・パッカードの株を1株あたり1.28ドルで購入し、45ドルで売却。
この結果、シャノンは投資で最大3,500倍のリターンを得ることができました。
シャノンがアイデアを出し、ジョン・ケリーが完成させたケリーの公式があります。このケリーの公式は、過去に研究されたギャンブル理論を基に、カジノに通っていた研究所の友人エドワード・ソープによって実践に応用され、20年間にわたりウォール街で最高の収益率を記録した投資理論へと発展しました。
基本的な公式は非常にシンプルです。
まず、「Gmax = R」という公式があります。
ここで、Gは富の成長速度、maxはその最大値、Rは情報の純度を示します。この公式は「情報の純度が高いほど富の成長速度が速くなる」という理論を表しています。
これを言い換えれば、「株式で利益を上げるには、純度の高いインサイダー情報ほど効果的である」ということを示しています。
また、ギャンブルにおいて、勝つ確率と賞金の比率が分かっている場合、自分の資金のうちどれだけを賭けるべきかを最適化する公式も存在します。それが次の公式です。
F = P - (1 - P) / B
F:1回のギャンブルで賭けるべき資産の割合
P:勝つ確率
B:勝った場合に得られる賞金の比率(ベット額に対する倍率)
例えば、勝つ確率が40%(P = 0.4)で、勝った場合にベット額の2倍の賞金を得られる場合(B = 2)、賭けるべき資産の割合Fは次のように計算されます。
F = 0.4 - (1 - 0.4) / 2 = 0.4 - 0.6 / 2 = 0.4 - 0.3 = 0.1
つまり、自分の資金の10%をこのギャンブルに賭けるのが、利益を最大化するための最適な戦略であるという理論です。
この理論はギャンブルだけでなく、投資における資産配分の指針としても広く応用されています。
勝率が高いと、つい「一度に多額の資金を賭ける方が有利」と考えがちです。しかし、勝率が100%でない限り損失が発生する可能性があり、この損失を最小化しながら勝つ確率を高めていくのがケリーの公式です。
こうして「少なく失い、多く稼ぐ」という黄金の公式が誕生しました。この公式は、「市場の短期的な動きはランダムウォークであり、長期的には市場平均を上回る収益を得ることはできない」とする効率的市場仮説を支持する学者たちに一矢を報いる結果となりました。
ケリーの公式が教えてくれる教訓は次の通りです:
どんな場合でも「全額を賭ける」ことは避けるべきです。これにより、破産のリスクを低減できます。
安全策として少額を投資し、一定の割合以上を現金として保有することが重要です。
「情報こそが金である」という考えです。他者よりどれだけ情報面で優位に立てるかが、投資の成功と失敗を分ける鍵となります。
ノーベル経済学賞受賞者であるポール・サミュエルソンやロバート・マートンらは、このケリーの公式を「欲深さの公式」として激しく批判しました。しかし、10年以上にわたる論争の末、ケリーの公式が最も早く、最も多く、そして最も安全に資産を増やす公式であるという点については、誰もが認めざるを得ませんでした。
ただし、インサイダー情報にアクセスすることが難しく、チャートの値動きに振り回されてタイミングだけを追求する個人投資家(いわゆる「蟻投資家」)が株式市場で成功するのは難しい、という少し残念な現実も、このケリーの公式が示唆しています。
ポートフォリオ管理の重要性も見逃せません。2007年から2009年3月までの金融危機期間、つまり18か月間を振り返ってみましょう。
この期間中、S&P 500指数は58%もの下落を記録しました。一般的なアメリカの株式投資家は、大きな損失を被ったと考えられます。しかし、この期間に株式と債券を分散し、ポートフォリオを株式4、債券6の比率で構成していた場合を仮定すると、状況は大きく変わります。
金融危機のような状況では、FRB(連邦準備制度)が金利を引き下げ、流動性を供給して景気回復を図ります。このように金利が下がると、債券の価値が上昇し、ポートフォリオにおいて重要な役割を果たします。
例えば、金利が1%下がると、米国10年債のリターンは約8%上昇します。一方、米国20年債の場合は10年債よりもさらに高い約14%のリターンが見込まれます。
当時、アメリカの政策金利は4.3%引き下げられ、それに伴い米国10年債や20年債の金利もおおよそ3.2%低下しました。
米国10年債を保有していた場合、金利が3.2%下がることでリターンは約25%に達します。
米国20年債を保有していた場合、リターンはさらに大きく約45%に達します。
このように、株式が大幅に下落する局面でも、債券がポートフォリオ全体の損失を大幅に緩和し、投資家を救う役割を果たすことがわかります。この事例は、分散投資とポートフォリオ管理の重要性を明確に示しています。
もしアメリカ株式とアメリカ国債20年物を4対6の割合で保有していたとすれば、金融危機で株式が58%下落したとしても、国債が45%上昇することで資産を守ることができたということになります。
もちろん、株式を全く持たず、債券だけを保有していた人は金融危機に対して万全の備えができたかもしれません。しかし、その当時の状況下で未来を完全に確信することは誰にもできなかったでしょう。
現在のアメリカ市場は止まることなく上昇を続けています。しかし、3年連続で指数が上昇し続けることは非常に困難であり、また大きな挑戦でもあります。
一つの資産に「全額投資(いわゆる『オールイン』)」するよりも、異なる性質を持つ資産に分散して投資することが必要だということを、ここまで長々と述べてきました。
個人投資家にとって、インサイダー情報にアクセスすることが難しい中で唯一の強みは、**「投資をせず休む選択ができる」**という点です。
ポートフォリオを分散し、現金比率を調整しながら、市場の雰囲気が悪いと感じる時期に休むことは非常に有効な投資戦略です。投資をしない時間がもたらす冷静さと判断力こそが、長期的な成功を生む鍵となるのです。