魔法がとけかかっている~宝塚歌劇とわたしの距離~
あぁ、遠いな……。
それは、決してB席という物理的な距離だけではなかった、と自覚があるからこそ余計さみしい。待ち合わせ場所で相手を一時間待ったときと同じ、諦めと無の感情。
先日『はいからさんが通る』を観劇した。
生演奏に震え、パッと舞台上が明るくなる。
心は新雪を踏みしめるみたいにわずかな危うさと好奇心にせわしない。これから始まる「夢」をこころからたのしもうとする私がいる。
心は踊るが、ストーリーが進むにつれ、その期待は下降…とまではいかないがかと言って上昇もせず、ゆるやかな飛行を続けていた。
かつては、アルバイトで稼いだお金から、時間、労力すべて捧げ健やかに宝塚ライフを、一種の誇りを抱きながら過ごしていた。
宝塚歌劇とのはっきりとした出会いは小学五年生だった。夏休みに母親に連れられて「ハマるとたいへんだからねー」の言葉の意味もわからず、泊まりで2日同じ演目を観る意味もわからず、ただただ男役さんの非現実さ、きらびやかな世界に圧倒されていた。
だが、一番好きだった方がトップ男役として退団されたのを機にラブからライク…ではなくライトな好きに変化してしまった。
1年に観劇する作品は、宝塚よりも退団されたOGさんの舞台が増え、今作品もほぼ一年ぶりの観劇となった。
学生の頃は、宝塚の舞台を追うだけで精一杯、お金も限りあるので他の劇団や作品を積極的にみる余裕も思考も持ち合わせていなかった。しかしお気に入りのOGさんが出演する様々な作品、劇場に足を運ぶようになってから、自分のすきな舞台の傾向に気づき始めた。
それは、どんなに話がこじれようが最後には必ずトップコンビのストーリーへと集約されていく「宝塚的」なストーリーではなかったのだ。
宝塚にハマりきれない自分がかなしいのは、その世界に夢中でいられた自分に戻れないことを意味しているから!
一も二もなく、宝塚歌劇を優先させ、一年の計は宝塚にありというくらい夢中になっていた。それがいったん火が落ち着き、冷静なこころで見つめる夢の世界は、わたしにとってふたつ隣のクラスの人気者くらい淡かった。