期待の大きさ
さっきの記事にも書きましたが、期待しないほうがいいときがあります。
期待して期待通りいかないときが続いたとき期待しないことの方が案外威力を発揮します。
私は普段自分が得意だと思っていることでも、自分にもあまり期待しないほうがいいなと思ってます。
得意だと思っていることが、威力を発揮しないと、さらに努力します。それでも足りないとまた努力します。それで回っている場合はいいのですが、あまりに続くと得意だと思っていたぶん落ち込みます。
お医者さんにかかるとき
人は期待します。
たいてい治ります♡。
治りたいという気持ちの人が
治してあげたいという人のところへ
出向くのですから
とても幸せな結果です♡。
しかし思った効果がなかったり
時間がかかりすぎると
もっとすごいお医者さんを
探したりします。
もっと期待して行きます。
なのにうまくいかないことが続くと
「どこへ行けばいいんだ?」
みたいな気分になると思います。
話はそれますが、
お医者さんが「どうですか?」
と聞いた場合、期待するので
良くなったところより、まだ良くなってないところを探したりします。
これも覚えておいてください。
それでは占いやヒーリングはどうでしょう?
私はかなり効果があるとふんでいますが、人によるとも思っています。
それに相性もあると思っていますから、平均的な期待値は低めです。
これは大きながっかりを防ぎます。
占いが当たらなかったといって激怒する人を私は知りません。
ところがやはり効く場合があるんです♡。嬉しくなりますね。がっかりが続きすぎた人にはこれくらいの期待加減がいい時が必ずあります。
他に手立てがなければ途中まで信頼できる人にガイドしてもらうのは良いことと思います。
占いやヒーリングに限らず趣味で気分を良くしようという試みも同じことだと思います。
五年ほど前に、長男と「こども礼法教室」という数回のプログラムに参加したことがあります。
小笠原流礼法教室の先生が教えてくださって流鏑馬の話などを織り交ぜながら立ったり座ったりいろいろ教えてもらったのですが、勿体無いことにほとんど何も覚えていません。
しかしながら印象的なエピソードがありました。
小笠原流礼法の家元はこれを本業にしてはいけないという決まりがあるんだそうです。(改めて調べ直したりはしていませんがあっていると思います。)
私は今朝これをふと思い出して次のように理解しました。
礼法教室に通う生徒は
礼法教室に期待して行きます。
かたや礼法教室以外での家元は
礼法を期待されずに
礼法を実践します。
礼法教室以外での家元に接する人は
家元に礼法を期待せずに
礼法の力を体験します。
つまり、「家元はこれを本業としてはならない」という決まりを守った状態というのは
「医者」であり「癒者」でもあるような状態なのだと思います。
私は日常では全く普通の
ありきたりの女忍🥷ですが
もしかすると
「なんのはなしですか」を
醸し出しているかもしれないと
ちょっとワクワクします🤗
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