
「ピノキオ」のおじいさん
はい!またまた妄想です。
読み返したりしてないので適当です。
信じないでください。
おじいさんの記事が連続します。
私はおじいさんが好きなんでしょうか?よくわかりません。
そんなに興味ないと思ってます。
はじめます。
一人暮らしのおじいさんは
人形をこさえます。
ピノキオという名前をつけて
息子のように可愛がりました。
あまりの愛情に生命が宿ったのです。幸せな日々が続きます。
しかし学校が始まり、ピノキオはおじいさん以外の世界を知ります。
いろんなことをします。悪さをします。おじいさんが親だということ、自分が人形だということ、むしゃくしゃしちゃうんです。嘘がどうにも止まりません。
人形というのがポイントです。はじめおじいさんの人形だったのです。おじいさんの愛情からの世話焼きで可愛い可愛いピノキオでした。つまりおじいさんのいうことをちゃんときく人形だったのです。
生命が宿るということは、人形ではなくなるということです。おじいさんの忠告なんて知ったことではありません。いうことなんてききません。だって人形じゃないからです。
いうことを聞かないピノキオは本当に人間の子供なんです。ただ、悪さをやりすぎます。おじいさんが心配してもしても繰り返しピノキオは悪いことを一通りやります。
そしてとうとうひとりぼっちで鯨のお腹の中に入ってしまうのです。
暗黒の牢屋の中でピノキオはおじいさんと出会います。これはおじいさんに愛された思い出のことかもしれません。ピノキオは自分1人なら海の藻屑となっても仕方ないかなと考えたのですが、この腹の中にはどんな時も自分を愛してくれたおじいさんがいるのです。おじいさんをここから出したい。これはピノキオに自然に湧き上がった気持ちです。人形にはこんな気持ちは湧き上がらないでしょう。
鯨の潮吹きでピノキオとおじいさんはいっぺんに海の上の明るい世界へ飛び出します。
2人がこころ通じ合った瞬間ですね!
私はこのシーンがとても好きです。
このシーンのために読むのが辛くなるくらいのピノキオの悪さがあったといっても過言ではないと思うのです。
細かいところは端折りましたが、
ピノキオとおじいさんのような現象は私達普通の人間にもよくあることだと思います。
親子、師弟、恋人、なんでもです。
私はこの話がとても好きです。
おしまい