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『引越しと移植』

引越しシーズンの到来だ。
奈良の地で出来た友人が引越すことになった。
仕方ない。我が家も含めて転勤族の宿命である。

「また1からやり直し。心細い。いつになったら故郷の九州に帰れるのか。」
彼女は夫の転勤先の不動産屋巡りを、面白おかしく話してくれた後、故郷に帰りたいと何度か繰り返した。

いい歳をして故郷に帰りたいと堂々と言ってのける彼女の姿に私は胸をうたれた。

私個人は、大学生となり家を出てから帰省はするものの一度たりとも実家で暮らしていない。

若いうちは、違う環境に適応するのが早い。文化が違うことは面白いことであり、全く苦しくなかった。

それでも帰省の電車が関ヶ原を超えるあたりから、車内に故郷の言葉が聞こえ始め不思議な安堵感に包まれたものだ。

いくら慣れたとはいえ、育った場所以外では知らずのうちに緊張しているのだと知った。

彼女のように歳を重ねてからの引越しとなると、気重になって当然だろう。
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木の移植というのは木の引越しだ。
春先はまた移植の適期でもある。

(実際は春だけではない。私は寝ぼけている時がベストと覚えている。常緑樹なら真冬。落葉樹なら晩秋、早春。違ってたらごめんなさい。)

人間と同じように、若い木は移植先で適応していきやすい。

大きな木は、神経を使う。移植という引越しは大きな負担となるのだ。数年かけて根回しをし、鉢を作ったりする。細かい根っこを新しく作る力が緩やかだからだと思う。

移植先の土壌改良も入念に行う。
大事大事にお迎えする。

特別な想いを込めて移植された木はまるで神様のようだ。
村の移転とともに引越ししてくれるなどという老木もあるのだ。
植え替えた後、お酒を撒いたりする時もある。

私はね、買ってきた新しい木を植えるほうが経済的なんだけれども、このような木の移植に当たっては、何本か若い木も一緒にお供で移植したら寂しくないんじゃないかなと思う。やってるかもしれないけれど。

故郷の言葉を聞くと安心するように、メインの木にお供をつけてやるといい。

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彼女はご主人の転勤についてきて
故郷を恋しく思っているのだけど、
ご主人にとっては、彼女が転勤についてきてくれていることは、きっととても安心するんじゃないかな。

新しい転居先は、2人一緒に1秒でも長く過ごせるようになるべく会社に近いところで選んだんだって。

へぇー。
さっきまで真面目になぐさめながら
聞いてたけど、
なんか…ご馳走さま!!

ニヤッと笑った私の顔を
見逃さずに
彼女は平然と言ってのけた。

「なんだかんだ言ったけど
奈良はけっこう住みよかったわ!」

はいはいはい。
その調子!
次住むところも
「なんだかんだ住みよかったわ。」
ってきっとなるね✨。


ところで彼女の引越し先は大阪なのである。
私のイメージだと確実に今まで通り会える。

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