鏡に映る私みたいな像はいったいなんなのか

鏡に映る私みたいな像は
いったいなんなのか?

私はときどき考える

いや、
正確には考えるのを
ときどきにしている

だってこのこの疑問はひどく魅力的で、いくらでも考えることができて頭が変になりそうだから

鏡を見るときに私は私をみようとしている

けれども私は自然体の私をみることはできない

だって鏡を見るときには無意識のうちにいい顔作ろうとしている

目なんてちょっとぱっちりしてるんじゃないかな?鏡の中をよくみようとして。

鏡に映った私は私なんかじゃない。
左右入れ替わっているという人がいるけれどそれも違う。

これは別人。面対称だから。
別に左右反対になってるわけじゃない。

それなら私と同じ姿を見るには、面対称の面対称の姿をみればよい。

合わせ鏡を覗いてみても、私が邪魔して面対称の面対称の私は見えない。

三面鏡をグッとおりこんで覗いてみると、どの像がどれくらい私なのかさっぱりわからない。

鏡は全く面白い。鏡の中の私は全部偽物な気がする。

残念な様な嬉しいような。

鏡なんかに私なんて掴ませない。
だって私だって私のことわかりっこないもの。

そうして私は満足して鏡を閉じる。

鏡をみおえた私はいったいどんな顔をしているのでしょうか?

私の中には無数の私がいる。
三面鏡の中の私みたいな像が
私に乗り移っているかもしれない。

そんなことはもうどうでもいいわ。

次に鏡を見るときにまた考えましょう。

とりあえずのところ今日は
この私ということでいきましょう。

私の中には無限の私がいるの。


ビリージョエルの
ストレンジャーを聴いて
作ってみました。

これは詩なのか
なんなのか
私にはさっぱりわかりません。

私の中にはいろんな私がいるので
みなさんあんまり私を信用しちゃいけませんよ(^_−)−☆

自分がよくわからなくなったって
✨🪞どんとこい2024秋🪞✨

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