この感覚忘れてたー
出来心で文化講座というものを受講しはじめた。
困ったことに何言ってるのか全然わからない。
講義中が始まると、後で読み返すようにメモを取るのに大変忙しい。
途中、隣のお爺さんが深く頷いたり、
「なるほど」
と呟いてるのをみて
「絶対嘘だろう。」
と思ってみたりする。
そして会場を眺めわたして、自分と同じくらい わかってなさそうな人物を探してみたりする。
この講座の素晴らしいのは講師は一流なのに無料なのだ。
あきらかにこの後のおしゃべりが楽しみな妙齢のご婦人の集団がいるし、暇つぶしにずっと通っていそうな高齢紳士もたくさんいて雰囲気はすこぶる長閑である。
そんな中タブレットに物凄い勢いでタイピングしてる女性とかをみつけて呆気にとられたりする。
会場の雰囲気を把握すると 次は 講師の観察に入る。
といってもそんな高尚なものではなく、口ぐせだとか、例え話から「上司だったらけっこういいかなぁ。」とか。
「プレゼントの例えにブローチがでてくるところがジェネレーションギャップを感じる。でもギャップ萌え。」
「どうでもいい風に眼鏡あげながら話す時、必ず面白いこと言ってる!」
とか。
そんなことばっかり考えてる。
しかしそんなことにも飽きて、相変わらず難しい話を聞いているとだんだん睡魔が襲ってくる。
しばらく頭をふらつかせていると、講師が話についてきてない奴の存在を察してくれるのか、余談をしてくれたりする。
気を取り直して、私はこの余談に聞き入り入念にメモする。
司馬遼太郎の本読んでてもそうだけれど、私は「余談」とか「話が横道にそれるところ」のほうが断じて好きなのだ。
こうして私はいくつかの極上の余談を手に入れてホクホクと帰路に着く。
あんなに張り切って書いたはじめの辺のメモは絶対に見返さない。
帰って家族に話すのは余談のとこばかり。
ハッ!
これってさぁ!
私の学生の時の感覚だよねー!
すっかり忘れてた。
もうちょっと真面目だと自分で思ってた。
うちの子どもたちは2人とも、全く何しに毎日学校行ってんのかなってくらい何も聞いてこないと思ってたけど、私もやん( ̄▽ ̄)。
子どもと同じことやってみると、
思い出すことありますねー!
授業はテキトーでもういい。
でもさー
「明日お弁当いるかわかんない。」とか
「月曜セットを玄関に置きっぱなしで木曜日あたりに持って行く。」
とかねー。
そのあたりはなんとかお願いしたいものです。( ̄▽ ̄)