見出し画像

「星占い的思考」を読んで

友人に課題図書としてこの本をかりるまで私は占いというものにあまり関心をはらってなかった。

読み終えたら感動してすぐに同じ本を購入した。

それほどまでにこの本は良かった。

石井ゆかり氏は自分で言っている。
占いばっかり信じるのは危険だと。

その危険を踏まえて彼女は星占いを書いている。
当たっているのか当たっていないのかよくわからないそのよくわからなさの中にある優しさの力を引き出そうと挑戦し続けている。

石井ゆかり氏の書く星読みは、物事をよりよくとらえるためのヒントのようなもので、読む人にとってよい働きをするようにと祈りをもって紡がれた物語なのである。そして最高なのは何も強制してこない。

私は、金曜日の夜に石井ゆかり氏の週間星読みを無理矢理でも自分に当てはめて読むことをとても楽しみにしている。これが私に、私達に向かって書いてくれる物語だからだ。

怖いところが一切ない。むしろわからない未来をワクワク待つ気持ちにさせてくれる。過去から学ぶことがあるかもと耳元でささやいてくれる。しかも無料だ!天使なんじゃないかとも思える。でも時々更新されるnoteを拝見するとどうやら実在する人間みたいだ。🤭

この本は全部素晴らしいけれど、私の特に気に入ってるのは
星占いの世界観の
188頁からの「占いは『アリ』か」

199頁からの「占いという『アジール』」

そのうちの「占いは『アリ』か」
から一部抜粋させて紹介させてもらう。
何故って私は占いに関心がない人、占いが嫌いな人に読んでほしいからだ。
だってこの本、題名的に「占いが好きな人しか読まないんじゃないか?」と思うからだ。もっとたくさんの人に読んでほしいな。

それでは

「占いは、アリか」。そもそも、何に照らして「アリ」なのか。人の役に立つものならあってもいい、というものでもない。覚醒剤はとても頭が冴えて元気が出るらしいけれど、使ってはダメだ。人に喜ばれればいいか、と言うと、そうでもない。子供に甘いものだけ、やまほど食べさせたら、喜ばれるだろうが、ためにはならない。酒やタバコが「大目に見られている」ように、占いもまた、社会に「見逃してもらっている」だけである。実際、占いが禁止された例は、歴史に何度もある。占いが不安を一時的にでも和らげ、生きる希望をくれたとしても、酒の酩酊と同様、まやかしに近い。原理的には「ナシ」なのだ。

星占い的思考 講談社 石井ゆかり著より 


しかし、占いは、「ナシ」だからこそ、存在しているとも言える。それが「オカルト」の、本当の意味でないかと思う。「オカルト」は、「隠す」と言う意味合いの言葉だ。例えば、天文用語に「オカルテーション」と言うのがある。月がアルデバランを隠すような時に使うのだ。「オカルト」という言葉は、一般にはあまり良い意味で使われない。でも、私は「占いはオカルトだ」と言うのは、ある種の決意表明だと思っている。つまり、社会の外側に置かれ、隠され、場合によっては否定されているからこそ、成立するのが占いなのだ。落語に「昼間の幽霊は怖くない」と言う。占いもまた、そういうところがある。

星占い的思考 講談社 石井ゆかり著より 

占いはナシだからこそ、アリなのだ。少なくとも、今のところは。

星占い的思考 講談社 石井ゆかり著より 


勝手に引用しちゃったけど、きっと石井ゆかり先生はゆるしてくれると思う。
石井ゆかり先生のnoteはこちらです。(ここから週間星読みに飛べるようになってますよ😉)

そういうわけで私は他の占いはともかく、石井ゆかり氏の星読みは安心して読んでいる。

考えてみれば、何も占いに限ったことではなく、おしゃべりや読む本、見るニュース、触れるもの、経験すること全てが世界の見え方に関係してくるのだ。どんなものに触れるか、誰の話を聞くかはとても重要だ。

そこで私はこないだみた記事を思い出した。
いつかBlue handさんに
オラクルリーディングもらいたいなって😊💖
だって彼女はいつもとっても優しい文章を書いているから✨

いいなと思ったら応援しよう!