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首都奈良の県民だよりからの「たすき」を考える旅

思ひあまり いたもすべ無み 玉襷
畝火の山に われは標結ふ
作者不詳

思慕の心に堪えかねて、
どうしようもなく、
玉襷畝火山に
私はしるしを結ぶことだ


奈良県民だよりの3月号
初めての万葉集コーナーを
今回は読んだ。


「たすき」は神聖な布で、首・肩にかけて神事に用いられました。
美しいたすきを首(うなじ)にかける、その畝傍(うねび)、とかかります。「うな」「うね」の発音の類似による枕詞ですが「玉だすき畝傍」と連続することで山の美しさや神聖さが想起されます。
 さて、「いたもすべ無み」という例のほとんどが泣く・祈るなど、何もできない嘆きとともに読まれます。ところが、この歌では「思いあまり」「標(しるし)結ふ」と歌うことから、思い切った行動を取ったことがうかがえます。「標結ふ」は恋の歌に多く用いられ、標をつけて目立たせること、恋の歌では自分のものだと目印をつけることを意味します。
 この歌の作者は伝わらず、歌の主体は男女どちらか分かりませんが、神聖な畝傍山に勝手に標を結うと歌うことは、禁忌を侵して人妻を手に入れたことを意味すると言う説もあります。譬喩歌(恋の思いをなんらかの物に譬えて表現する歌)は想像が膨らみますね。

奈良県民だより2025年3月号より

え?首にキスマーク??

と私がびっくりしたかどうかについてはどうかほっといてほしい。

首にかけるた布にそんな神聖な意味があったとは。
私は「たすき」が気になった。

何故そんな意味を持ったのだろう?

首は身体と頭を結ぶ。
目鼻耳口、それに脳みそなんかを揃えた頭部分と手や足、皮膚、消化器官などを持つ身体の情報のやりとりは全て首をとおる。

私がいうまでもないけれど首は情報の関所で、むちゃくちゃ重要なのだ。

その首にわざわざ布をかけるとなるとなるほど厳粛な気持ちになる。

私のイメージでは心は身体のほうにある。
心と頭をつなぐのを助ける布なのかもしれない。

どのようにつなげるか
何を主体につなげるかが
その布が何かということと
リンクしそうだ。

たすきをwikiで調べてみると
埴輪もたすきをしている…。
アメノウズメもたすきをかけて踊ったとある(巫女がかける場合、穢れを払う効果が一説として紹介されている)。
かと思えば選挙や駅伝のたすきもある。

たすきってなんだ?
たすきが不思議になってきた。


もいっちょ検索。

襷 (たすき)

仕事をする際に着物の袖やたもとをたくしあげておくひも。日本神話に天の岩屋戸の前で天鈿女(あめのうずめ)命が蘿(ひかげ)(日蔭蔓(ひかげのかずら))を手(たすき)にしたとあるのが文献の初出であるが,古墳出土の埴輪にたすきをしたものがある。これらはともに巫女が着用した例で,御膳を献ずるのに古くはたすきで腕をつって持ち上げたといい,神への奉仕や物忌のしるしとされていた。古代の衣服は筒袖であったから,たすきは労働用ではなくもっぱら神に奉仕する者の礼装の一部であった。《日本書紀》允恭天皇条に〈諸人は木綿(ゆう)手をかけて盟神探湯(くかたち)し〉とあり,《万葉集》には〈白栲(しろたえ)のたすきをかけ まそ鏡手にとりもちて天つ神仰ぎ祈(こ)い請(の)み〉とある。このほか,御食(みけ)を献ずる際にたすきをかける例も祝詞(のりと)などに見える。また平安時代にも,伊勢神宮その他の神社では神をまつるときに神人は木綿襷(ゆうだすき)をかけた。今日でも神事や祭礼の際に神官がたすきをしたり,民俗芸能の舞手がたすきをする例が見られる。桃山時代の風俗屛風絵には田植女がたすきを背中で十字にあやどって長くたらした姿が描かれているが,田植は神聖な行事であるから,これも神事に携わる者あるいは神に召されたものの表示といえるだろう。富山県には戦前まで,田植の際に新婚の花嫁が婚礼で結んだ緋ぢりめんのしごきでたすきをかける習慣もあった。現在ではたすきがけのまま神仏に参ったり客の応対にでるのは非礼とされ,五島列島ではたすきがけでご飯をたべるとへその緒を身体に巻きつけた子どもが生まれるという。
 たすきが一般庶民に普及するのは袖の長い着物を着るようになった室町時代以降である。しかし12世紀後半の《信貴山縁起絵巻》に,すでに女性がたすきがけで水汲みや瓜取りをしている姿が描かれている。江戸時代には町人,職人,茶屋女もたすきをかけるようになり,日常の服装の一部となった。和服が衣生活の主体であった昭和初期ころまで,たすきは階層や性別を問わず生活必需品であった。たすきの材料は,古代には日蔭蔓,木綿,ガマ(蒲)などが使われ,《万葉集》には〈木綿襷〉や〈玉襷〉の名が見えている。玉襷は勾玉や管玉などをとおしたたすきで必ずしも美称ではない。また明治・大正ころまで料理屋などの職人は短く竹を切ってひもにとおした竹だすきをしていたという。

改訂新版 世界大百科事典 襷より

 現代では「たすき」は「着物の袖をたくしあげる作業効率UP効果」や「なんの役目かはっきりわかる目標効果」の印象が強いが、もともと「神への奉仕や物忌」の意味があったことが伺える。
 田植えあたりで「こりゃ便利だな」となったのかもしれない。


次は木綿襷(ゆうだすき)を調べる。
「木綿(ゆう)」はクワ科のコウゾやカジの繊維のことらしい。
写真をみると繊維だなってよくわかる。
コウゾやカジは和紙の材料でもある。 紙 カミ 神。ふーん。
調べるとインドネシアなんかの「樹皮布」の原料でもある。
木の樹皮を叩いて伸ばして布にする。作り方としては金箔みたいな感じなのかな?
「樹皮布」を調べるとインドネシアだけでなく世界に広がる。彩色された模様には祈りの気持ちが込められている。
この植物は世界レベルでカミと関係あるのかな。


どうにも広がりすぎて収拾がつかない。戻る。
どこに戻るか。
「首にかける布」に戻る。

平安時代の女性の旅装束の「懸帯」というものが首にかける布っぽくみえてくる。
「懸」にはなんか「想い」がある。
被った衣のずれ防止機能もあるかもしれないが、道中の安全や、無事の帰還なんかの想いがこめられているのかもしれない。

冒頭の歌にもあった「玉襷」
玉のように美しいという意味だけではなく、本当に玉を編み込んだものもあるらしい。あるらしいようなことを書いてあるけれど写真が見つからない。
これ、植物繊維で貴石を結んでいった「ネックレス」みたいな感じなのかな?


🧣マフラー🧣

あれもきっと防寒目的だけではない。
プレゼントされたマフラーは
「風邪ひかないようにね」
「使うたびに私をおもいだしてね」
「素敵なデザインで使うたび楽しい気持ちになりますように」

そして「この人にはマフラーをプレゼントするこの人を大切に思っている人がいます」という「標結う」効果もあるのだな。

あれ?
今度は「標結う」が気になってきた🤭!
「大事にしてますマーク」ってどんな付け方あるんだろう💕。
誰かがとっても大事にしているってわかると大切にしたくなる。
誰かに大切に思われてるって印があると心細いときとても安心する。
目には見えない言葉や眼差しが届かないときも、効力を発揮するそんなマーク。
それは友達とお揃いの小物だったり、毎日持たせるお弁当だったり、声の調子が悪いときに持たされる
のど飴だったり、けっこう身近にいくらでもあるのかもしれない。

私についてるマーク
私がつけたいマーク
どんなものがあるかな?
🤗


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