今大切だと思ってるものと後から大切になるものは違ってくるというお話
整理整頓が苦手だ。
だっていらないものが好きだから。
これは考えてみると
一見役に立たない話が好きなのと
よく似ている。
最近少しばかり歳上の友人と話をしていたら実家の片付けの話題になった。
「ちょっと信じられない。小学校の教科書とか全部とってあるねん。」
「わかる。あと図鑑な!カビ生えとる。開けたら虫いたわ〜。教科書はいらんやろ。」
「そやで。でもノートはないねん。」
「置いとくならノートやろ(笑)。」
「日記とかな。」
「そうやで、あれは私もとってある。」
みんな、親はこんなもん大切にとってあったんかいといいながら、なんだか嬉しそうなのだ。
そしてなんだかんだ自分もとっている。
「ひとつひとつ見返してたら時間がいくらあっても足らんから、途中からみずに捨てたわ。」
「ほんまになぁ。結局そうなるよな。」
後からみると教科書よりノートが
大切になる。
さらに大きくみると、いらないようなものをずっと大切にとっていてくれていたことが大切になる。
なんだかあったかいなあと思った次第だ。
しかし思い出をいろいろとっておきすぎると物理的にはかなり大変なようだ(笑)。
初孫の私が生まれたとき、祖母が喜んで七段の雛飾りをくれた。
社宅の一間を占拠していた記憶がある。
引っ越してからも飾ったのは何回だろう?
数年前うちは男の子だけなのでいらないといったら、母はこれだけ持っていて欲しいと、雛飾りについていた小箱みたいなオルゴールを渡してくれた。
人形供養に出してくれたようだ。
あのオルゴールは母が私に託すことで、母の母からの思いの受け取っている象徴だ。
私はあれをどうするのかな?
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