無意味とか無作為とか無造作とか
とっても心が疲れてる時、
なんとか元気付けたいという
相手のさりげない思いやりすら
負担に感じることがある。
自分がいてもいなくてもかまわないような意味のないお喋りが心地よかったりする。
ヒーリングミュージックじゃない、風の音が気持ちよかったりする。
コップに入ってるココアのあたたかさを、ただ手のひらと立ち昇ってくる甘い香りの湯気から感じることがよかったりする。
寝ぼけ眼のときに
だんだん明るくなってくる空が
さて今日も一日頑張りますかと言ってくるように感じることもあれば
真っ赤に染まる夕焼けが
ひとりぼっちの私のために
世界を焼き尽くしてくれているように見えることもある
冷たい石が手のひらの上でだんだん暖かくなっていくのを感じて希望をもらうことだってある。
切り立った崖が挑戦してみろよと囁いてきたり
どこからか聞こえるせせらぎの音が、乾いた道をゆく応援歌に聞こえてきたり
足音に驚いて逃げるバッタが、道を先導してくれてるように見えたりする。
どうしようもない衝動で自分がしてしまう意味不明の行動
なんにも意図がないもの、
うるさくないもの、
私のためになんか作られてないものの方が、いろんなメッセージを投げかける。
考えるんじゃないんだよなぁ。
ただ感じるんだ。
昔は意味なんて考えずに、
よく耳にするから
みんなで歌っていた
あの歌は
そんなことに気がつかせてくれる
すごくいい歌なんじゃないかと
思いはじめた。
それでは聴いてください。
ザ・ドリフターズ
「いい湯だな」😉♡
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