フラクタル構造の認識は数あるパラレル世界への扉の鍵の一つだと思う🔑事象と心象の関係にヒントあり
なにやら長い題名になってしまった。
ま、いっか🤭♡。
ヘンテコ記事を読みたくない人れへの注意喚起にもなるからネ♡
#知らんけど
さらにここで読者をさらなる篩にかける。
私のいうパラレル世界は
どこか別の現実が待つ世界ではない。
同じ世界なんだけど、これまでとまるで違って見えるという世界だ。
これを読めば異空間に行けるかもと期待したみなさんごめんなさい。
かなりへったかな?
気にしない気にしない。
私は私の書きたいことを書くのだ。
フラクタルはその気になればどこにでも転がっている。
例え話だ。2つの事象を用意する。
⭐️庭で雑草をひく
⭐️会社をクビになる。
これが世界で起こっているとする。
心象がヒントだ。
こんちくしょうめ!邪魔な草だ!
とだけ思って草を抜いていると
クビになったとき自分が
こんちくしょうめ!邪魔な人間だ!
と思われたと感じる。
綺麗な花で野原に咲いているのは大好きなんだけど、ごめんなさい。ここには生えてもらうわけにはいかないの。種子が飛んでいってどこかで咲いてくれるといいな。
と思って草を引くと
クビになっても、愛情と現実を両方受け取れるし、また自分が輝ける場所に移動しようとすぐに思える。
そしてこの2つの心象は相互に作用するし、自在に変えることができる。
例え今までずっと「こんちくしょう!」と思って草をひいてても、ある朝突然に「なんだ、この草けっこう頑張ってるじゃん。綺麗かも。」と思うことが誰にだってできる。
心象というものは天気のようで絶えず不確定なのだと思う。
愛されたければ、あなたから愛しなさい。そうすれば世界があなたを愛しはじめる。
みたいな格言があったようななかったような気がするけど(しらべなくてごめんなさい。)同じ理屈だ。
愛されてばかりのお砂糖みたいな世界に生きたければ、世界まるごと全部愛せばいいのだ。
多少複雑な味わいが欲しければ、「好きだけど困ったなぁ」みたいに世界を眺めればいい。
信じられないようだが、この理屈を考えると、私達は無意識のうちに毎日、あるいは瞬間瞬間に自分の気分によって無数のパラレル世界を行き来している。
既にできているのだ。
問題は意図した世界に行く行き方を知らないということだ。
自分が行きたい世界をはっきりイメージできれば、自分が感情をコントロールし得るなるべく小さな事象に着目し、そこにフラクタル構造を見出せば良い。
そんなことを考えてみたけれど、
私は天気と同じで
これまで通り
宇宙が私に提供してくれる
ランダムな今日の気分を
味わうのも大好きだ♡
つまりこれ読んでも書いても
たいして私に意味ないかもしれない
今日も今日とて朝からいったい