[物語]遊歩道の薔薇の花
路地へと続くわき道をたくさん携えた駅へと続く遊歩道がその街にはあった。
豊かな植栽帯は季節ごとにその表情を変化させ、暑い夏の日には木陰を作ったり、秋の日には美しい落ち葉のカーペットを広げては道行くものを楽しませた。
そんな遊歩道のわき道への曲がり角の一つに誰が植えたか一本の薔薇の木があった。四季咲きの木で、薄い芳香を放ちながら毎日たくさんの淡いピンクの花を咲かせている。
大変美しい上に、夜も昼も次から次へと花を咲かせているのは誠に不思議なのだが、この街の住人にとってそれはもはや当たり前の風景で、立ち止まって目を止めるものもあまりいないのであった。
ある日夕闇の中1人の女が歩いてきた。疲れているようで駅からの登り道を下を向いて歩いている。花の香りに気がついたようだ。夕闇というものはたいてい香りをより濃厚に感じさせるものだから不思議はあるまい。足を止めて薔薇の花を見上げた。誰も剪定しないので、薔薇の花は見上げる高さに咲いている。街灯の灯りがその様子をそっと見守っている。女は角を曲がるとまた歩き出した。
次の晩も、その次の晩も女は角を曲がるたびに足を止めて薔薇の花を見上げて行った。
ある日の晩のことである。いつもに増して足どりの重い女が、いつものように角で立ち止まってバラの花を見上げた。睨みつけている。どうしたことかこの日の女にはバラの花が憎々しく映ったようだった。女はハンカチで鼻を押さえて角を曲がって行った。
それからしばらく、女はこの坂を登ってくることはなかった。
ある日、フワフワと宙を歩くようなした足取りでいつもよりずいぶん遅い時間にバラのところへ女は現れた。目は虚である。少しの静寂ののち、女はいきなり目を見開くと、バラの花をむしりはじめた。笑いながら。泣きながら。
バラは女に好きなようにむしらせた。その晩、薄い芳香を放つ美しい絨毯が女とバラの間に敷かれた。
それからというもの女は夜毎現れては、絨毯を作った。バラもそれをゆるした。
やがて女は気がついた。むしってもむしってもこのバラは花を咲かせる。それどころか、より一層の花を咲かせて自分を待っている。
絨毯の上で女は声をあげて泣いた。
バラは困ったように枝をしならせ、女を見守った。
女は立ち上がると、今度はバラの花を食べはじめた。ムシャムシャムシャムシャ。次から次へと口に放り込んでゆく。薄い芳香の優しさに時折えづきながらも女は食べることをやめなかった。
バラは花を喰われながらも、女にしてやれる別のことができて嬉しそうであった。
翌日、誰も見向きもしない遊歩道の不思議のバラのすぐそばに、鋭い棘があるけれども美しい、濃厚な香りを放つ真紅の薔薇が出現した。このことを知っているのは、このわき道の角にある一本の街灯だけである。