心捕われちゃった!!
初めてじゃないけれど、心が慌てふためいて、生娘のようにさせる。きっと、あなたに感想をもらえた、この事実が私だけをそうさせる。
たぶん3回目です。なろう小説をひとに見せることは、とんでもなく恥ずかしくて、馬鹿にされても良いひとにしか見せられない。おざなりで、子どもが書いたものだけれど、時間を掛けたものだったからひとに見せるなんて、軽く馬鹿にされたらきっと耐えられない。未熟で完結もさせられなかったけれど、あの頃の私はちゃんと書いてたから。
だから、きっと読んでもらえて嬉しいがなによりも先に出ちゃった。恥ずかしいより、変なものだして申し訳ないより、うれしいが溢れちゃった。
きっとこれからも、このことを引きずって生きていくと思います。感想をもらえたって、あの創作はちゃんとひとに読んでもらえたって言えるから
創作人はこの感覚をいつも感じているのかな、と考えました。何かを作って、感想をもらって、嬉しいって、こんな幸福感を浴びたら戻れないかもしれないと思っちゃった。
感情の濁流で覆われる感覚、誰がこの感想を読んでも、私しかこの感覚を味わえない、同じようには受け取れない、そんな特別、他にはないでしょう。これが心を捕らわれたと言わずなんというのでしょう。
あー、思うままに綴るのもいいけれど、またしっかりと考えた文章書きたい。誰が読むかわからないものを書きたい。きっと自分しか満足しないけれど、それでもいい。それだけで、いつかまた墓荒らしみたいに、昔の創作を見せることができたら、それはきっと、そのときの自分を救えるから。
近いうちに、またなんか作れたらいいな。
長々と書いても、なろう小説に感想もらえて嬉しかった、としかならないから。
ここで終わり。