本物の美しさを身に着ける。「マイ・フェア・レディ」のイライザのように。
私が通っているヨーガ教室には、先生の指導を1対1で受けられる個人指導があります。
個人指導では、初めに先生に体や心の状態をお伝えします。
先生は、今の私に合った内容をカスタマイズして指導してくださいます。
今日、先生の質問に答えている自分の言葉を客観的に聞きながら、あることに気づきました。
いい大人が何てつたない、表現が乏しい、子供っぽい言葉使いをしているのだろう…。
先生に言葉の使い方をずっと指摘されてきたことにやっと気がつき、恥ずかしくなってしまいました。
私が「智恵を伝える人になりたい」と先生に伝えると、このように尋ねられました。
簡単に手に届くものではないけれど、美しい輝きを放つダイヤモンドの宝飾品。簡単に手に取れるけれど、すぐに飽きられるお手頃価格のダイヤモンドのアクセサリー。
同じダイヤモンドでも質が違います。
ヨーガの智恵を伝える人に必要なのは、どちらの質だと思いますか?
高貴なオーラを放つ威厳と品のある方がよいに決まっています。
それに加え、そこに近づきたいと思わせる魅力、律した厳かな雰囲気。
本質的な価値は、学ぶ者の気を引き締め、ピリッとした気持ちを奮い立たせるからです。
さらに先生は質問を続けます。
ヨーガ・スートラやバガヴァッド・ギーター、仏教など、書店で本を買えば誰もが自由に学べます。
本を読めば自分ひとりでも勉強できる時代です。
そうした中で智恵を教える人になるとしたら、どのように教えますか?
「先生のように智恵をかみ砕いて説明できる能力を身に着けること」
「間違った解釈で、自分の価値観というフィルターをかけた状態で教えてしまうから…?」
私の答えは、ここで止まってしまいました。
帰りの電車で、先生が何度も繰り返されていた言葉を思い出しました。
「魂の光(アリス・ベイリー著)は、霊的人間の視座から書かれています。
ですから、その意識に達していないと理解するのは難しいですよ。」
「霊的視座が自分に備わっていないと、真理を伝える書物の真意はわかりません。」
真意をわかっていない人が教えてしまうと、真理がイミテーションのアクセサリーになってしまのかもしれないと思いました。
このようなことを考えていると、1964年制作のアメリカのミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザを思い出しました。
貧しい下町の花売りだったイライザは、死に物狂いで話し方やマナーを身につけ、人間的な成長も果たし、上流社会で通用するレディに変容します。
「所作をきれいに美しく。丁寧に体を動かして。誠実に、誠実に。」
先生がこのように指導してくださるのは、イミテーションのアクセサリーから、美しく威厳を放つ宝飾品に変わるためなのかもしれません。
私もイライザのように変わるため、先生のヨーガ指導を忠実に実践していこうと思います。