日本語は、ロマンチックか?

日本語はロマンチックではないという。本当にそうだろうか?

ロンドンの翻訳会社が言語の専門家320人以上を対象に実施した調査で、フランス語で「愛」を意味する「amour」が世界で最もロマンチックな単語に選ばれた。
以下、イタリア語で同義の「amore」は僅差で2位、イタリア語とスペイン語で「とても美しい」を意味する「bellissima」が3位など。

「最もロマンチックな言語」部門ではイタリア語が1位に選ばれた。
一方、ロマンチックでない響きがする「I love you」の言い方では、「スタートレック」のクリンゴン語などを抑え、日本語の「watakushi wa anata wo aishimasu」(私はあなたを愛します)が1位となった。
(2010年2月 ロイター)

恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
(蝉みたいに鳴かない代わりに、その想いをお尻の光で表現する。その様子がまるで我が身を焦がすかのようなさま。)
(口に出してあれこれ言う者より、口に出して言わない者のほうが、心の中では深く思っていることのたとえ。 :故事ことわざ辞典)

それにしても、エントリーした日本語の候補がひどいです。
「ワタクシハアナタヲアイシマス」、片言か!

とは言いつつ、「I love you」に相当する日本語とは何でしょうか。
そもそも、「I love you」とはどういうことを意味するのでしょうか。
「愛」と「恋」はどう違うの?ときかれたらどう答えますか、それも英語で。
「愛」と「リビドー」の違いは?

かつて、二葉亭四迷は、ツルゲーネフの『片恋』を訳す際、「Я люблю тебя(ロシア語のI love you)」を、「死んでも可(い)いわ・・・」と訳しました。

他方、
夏目漱石は「月がとっても青いですね。」と訳語を当てたことがあるそうです。

「I love you」などというのは、「自由」や「社会」みたいに明治になって輸入された概念なのでしょうか。それでも人口に膾炙したとはいえないように思います。

「君のつくったみそ汁を毎朝飲みたい」
「僕より一日でも長生きしてほしい」
「僕と同じ墓に入ってください」

いずれも社会環境の変化により使いにくい状況となりました。
さだまさしの『関白宣言』も実践したらアウトでしょう。

「拾い集めた 苦労の種を 今宵肴に ふたり酒」
「お前100まで わしゃ99まで ともに白髪の生えるまで」

政夫:「民さんはそんなに野菊が好き・・・道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子:「政夫さん・・・私野菊のようだってどうしてですか」
政夫:「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
民子:「それで政夫さんは野菊が好きだって・・・」
政夫:「僕大好きさ」
1)政夫は野菊が好き
2)民子は野菊のような女性
∴政夫は民子が大好き(証明終わり)
その後、民子はリンドウの花を使って同じように告白する。

男「また『け』?」
女「降参してもいいよ」
男「『け』、『け』、あった!結婚しよう!」
女「・・・うん」
男「君の負けだね」

男「卒業したら一緒に相撲」
女「ごっつあんです」

昔、南極越冬隊の隊員に、日本から電報が届いた。
送れる文字数に制限があるため、新婚の妻が南極にいる夫に送った電報。
「ア・ナ・タ」
夫、号泣。

「私はあなたを~」の響きが多少ロマンチックでないとしても、
日本人は十分ロマンチックに日本語を操ってきたと思います。

「イエスが生まれた日に、NOとは言わせないよ。。。」(←いろいろおかしい)

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