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川島町平沼の島畑景観(埼玉県)

氾濫原のでこぼこ

埼玉県川島町は、関東平野のど真ん中に位置している。多少のでこぼこはあるが(これが実はポイントになってくるのだが)、荒川沿いの、地理用語で氾濫原と呼ばれる平らな土地だ。

ポイントになる多少のでこぼこだが、例えば、こんな感じだ。

集落がぐるりと円を描いている。環状になっているので、環状集落と呼ぶが、これは盛り上がった土地が輪っかのような形をしていたのでその形通りに住宅が並んで集落になったものである。

地上から観察すると、この通り、1m程の盛り上がりになっている。

この盛り上がり、輪っかのものだけじゃない。国土地理院の陰影起伏図という地図で見てみると、こんなふうにいろんなところが-そんなに大きくないんだけど微妙な感じで-でこぼこしている。
そんなでこぼこをよく観察していくと、なんとなくカーブを描いていて、間に溝みたいな平らな部分があってその両側が盛り上がっているのが、見えてこないだろうか。

川島町に見られる多少のでこぼこ、実は、昔川が流れていた跡で、盛り上がっている部分を自然堤防跡、自然堤防跡に挟まれて帯のように続いている平らな部分を河道跡と言う。
こうした土地に人が住み着くとしたら、平らで低い土地は水田にして米を収穫して、盛り上がっている所に家を建てたり畑にしたりするのが都合が良い。つまり、河道跡が水田になっていて、自然堤防跡は住宅や畑というのが、川島町で見られる景観である。

平沼の島畑景観

平沼地区は、川島町で見られる景観の典型的な例で、大きくカーブした自然堤防跡が2本あって、その間に低くて平らな河道跡が挟まれている。そして自然堤防跡には集落ができていて、河道跡は水田になっている。

ところが、平沼の景観の中で、1か所、これまでの説明に当てはまらない所がある。緑色の線で囲った場所なのだが、ここは水田と畑が入り組んでいるように見える。
水田と畑が入り組んでいている農業景観を島畑と言う。水田を海に見立てると、その中に畑が島のように見えるというわけである。
川島町にも規模は小さいながらも島畑景観が残っている。これは発見だった。

空撮をしたのが4月だったので田んぼの部分での稲作が行なわれておらず、今一つ「映え」ない。そこで田んぼに水が入るタイミングを見計らって現地を見に来たところ、やはり島畑だった。

島畑の語源の通り、水田に水が入っている時季に見に来ると、島畑の景観を実感できる。映える。

島畑景観で、田んぼの中に畑が浮いているように見えることが多いが、逆に畑の中で田んぼが池のようになっている場所もある。
これは非常に興味深くて、島畑のような景観がどうして生まれたかという成因に関わってくる話で、古来より日本経済の基盤だった米の収量を増やすため少しでも多くの水田を拓こうとして、窪んでいる場所をとにかく田んぼにしたという説がある。平沼はまさにこの説が当てはまり、自然堤防跡の微高地の中でも窪地を選択的に掘り下げて水田を拓いたのだろうと考えられる。

ここも、少しでも田んぼの面積を広げようという意図が感じられる。

畑・田んぼ・畑・田んぼ・畑と交互になっている景観。惜しむらくは真ん中の畑が耕作放棄されてしまっている。島畑は畑も田んぼも細切れになってしまうので、どうしても農作業の手間暇がかかってしまう。そのため最近では耕作放棄も出てきている。田んぼの方はそうでもないが、簡単に辞めることができる畑の部分から、島畑の景観が崩れ始めている。
これは、川島町だけでなく、以前見に行ったことがある愛知県一宮市の島畑でも同様だった。

今や珍しくなった島畑景観、埼玉県川島町に残っているとは発見だった。

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