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ドイツ旅行2016:無火蒸気機関車と3軸客車
2016.09.25
キルヒハイム Kirchheim で泊まった次の日、泊まったホテルの近くに蒸気機関車が保存してあったので軽い気持ちで見に行ったら、これがなかなか面白い機関車だった。
無火蒸気機関車と呼ばれる形式で、普通の蒸気機関車はボイラーがあって石炭を燃やして蒸気を発生させて動力とするのだが、これはボイラーを持たずに出発地点で外から蒸気を注入してその蒸気が保つ範囲で走るというものだ。なので、先頭に煙突がないし、正面に付いているはずの煙室扉と呼ばれる円形の蓋もないし、車輪を動かすためのシリンダーも前ではなくて後ろ側に付いている。
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先頭部に出ているこれは、おそらく蒸気を注入するための管だろう。
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連結している客車に Hersfelder Kreisbahn という名称が記載してあった。これが詳しく調べて行くための手掛かりになりそうだ。
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Hersfelder Kreisbahn とはヘルスフェルト円環鉄道という意味で、Bad HersfeldとHeimboldshausen(行政区分ではPhilippsthal (Werra))と結んでいた。Solz川に沿って走っていたことから、Solz渓谷鉄道と言う通称もあったようだ。
Bad HersfeldとHeimboldshausenにはそれぞれ別の鉄道路線が来ていて、ヘルスフェルト円環鉄道はその両者を連絡する路線だった。なるほど、この鉄道ができたことで全体として円環を形成するという意味での名称のようだ。
延長は26km。1993年末をもって廃止になった。
なんとなく来歴はわかってきたが、どうして無火蒸気機関車が使われていたのかまではわからなかった。無火機関車はその特性から火が使えない場所(鉱山の坑道内や製油所など)で使われることが多いが、ヘルスフェルト円環鉄道は調べてみる限りは普通の鉄道路線のようだ。そうなると、普通の蒸気機関車を導入するより何らかのメリットがあったことになるはずなのだが。
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Heimboldshausen のあるあたりは塩(カリウム)の産出地で、掘った後のボタ山が平野の中に点在していて塩の山(モンテカリ Monte Kali)と呼ばれている。Hersfelder Kreisbahnも塩の輸送のために建設されたのかもしれない。
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さて、無火機関車だけでも掘り出し物だが、客車の方も面白い形式だった。
車輪が3軸ある。こうしたタイプの車両は普通前後の2軸(自動車も前後の2軸で安定している)なのだが、これは中間にもう1軸ある。
一般に軸数を増やせは1軸当たりの荷重が減ることになるのでそれにともなうメリットはあるのだが、逆にカーブが曲がりにくくなったり、場合によっては車輪が浮いてしまうというデメリットもある。日本では貨車に導入されたことはあったけど、客車については導入事例はなかったようだ。
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一方ドイツでは1950年代に3軸客車が多く製造された。これは、第二次世界大戦後の復興期、鉄道車両が不足し、旧式の客車を改造して活用する必要に迫られその際に改造されたものである(Umbauwagen)。ここで保存されている車両はB3ygという形式だが、それを含む3yg形式グループだけでも1953年~1959年の間に6,582両が製造された。
鉄バネで車体を支えている古い形式の客車であることがわかる。
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