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ミリタリー:戦跡:旧調布飛行場の掩体壕(東京都調布市・三鷹市)

東京都調布市にある調布飛行場は、長さ800mの滑走路1本の小さな飛行場で、現在は東京の離島への航空便や業務用小型機の拠点として利用されている。
元々は、陸軍省・逓信省航空局・東京府の三者で開設した軍民共用空港として1941年(昭和16年)4月に開港したが、同じ年の12月に太平洋戦争に突入すると、ほぼ陸軍の軍用飛行場となった。特に1942年4月に米軍ドーリットル隊の空襲があってからは、首都の防空拠点として重要視され、用地の拡張・配備部隊の増強が進められた。その一環として、戦闘機を隠しておく掩体壕と呼ばれる施設も多く建設された。
通常の格納庫では爆撃を受けると建物が破壊され中の飛行機も被害を受けてしまうため、掩体壕では、コンクリート製の覆い屋を造りさらに上に土をかぶせて防御している。さらに、1つの爆発で同時に複数の機体が破壊されるのを防ぐため、掩体壕は間隔を空けて、入り口もバラバラの向きにして建設された。
戦後調布基地は米軍に接収された後に返還され、民間空港への転換、周辺用地の住宅開発などの環境の変化を経たが、今でも何か所か掩体壕の跡が残っている。今回、それら3か所を回ってみた。

調布飛行場の掩体壕は4か所が残っているが、そのうち1か所は民地にあり、公開されているのは3か所とのこと。

白糸台掩体壕

西武多摩川線・白糸台駅から徒歩5分程の所に残っている掩体壕。まわりは住宅地だが小公園として整備されている。

横から見ると凹凸が付いていて徳利を半分に割ったような形をしている。写真の左側が入り口で機首側、右側が尾翼側になる。

すぐ横に国道20号の跨線橋があり、上から全体を見下ろすことができる。

大沢1号掩体壕

調布飛行場に隣接して都立武蔵野の森公園がある。この公園の中に、2基の掩体壕が保存されていて、こちらは1号と呼ばれている方。入り口は南の方を向いている。
横には、戦時中に掩体壕に格納されていた飛燕と呼ばれる戦闘機と、その格納の様子がわかるように半分に割られた掩体壕の模型が置かれている。

大沢2号掩体壕

こちらは都立武蔵野の森公園内にある2号と呼ばれている掩体壕。1号とは100m程離れていて、1号が南向きなのに対して、こちらは北に向いている。こうしておくことで1発の爆発で両方ともが破壊されてしまうことを防いでいる。複数残されていることで、掩体壕の配置についてもわかる。
また、白糸台、大沢1号、2号とも、同じ形のようだ。

2022.02.20

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