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日常に潜む不安定さ~「牧歌礼讃/楽園憧憬」

5月も半ばを過ぎ、バラでも愛でに行こうと思った矢先の大雨。
急遽行先を変更して訪れたのが、東京ステーションギャラリー。正直あまり期待していなかったのだが。
「牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」

いやいや、ここの美術館の学芸員の眼力には恐れ入る。危うくこんな素晴らしい展覧会を見逃すところであった。

もともとは海外美術館からの借り入れを想定していた展覧会が、コロナ禍で見送りとなったことを受けての代替を考えていた過程で、本企画が浮上したとか。
正直、ボーシャンと藤田には特段のつながりはない。ないのだが、どこか通底するものを確かに感じる。

まずはアンドレ・ボーシャン。彼のことは以前から知っていた。いわゆる素朴派と言われ、いわゆるルソーに連なる画家とされてきた。
しかし、こうして改めて鑑賞すると、ルソーの視点と大きく異なることに気づかされる。

アンドレ・ボーシャン 「芸術家たちの聖母」

中央に据えられたのは聖母子像。確かにあまり霊験あらたかな感じからは程遠い。だが、その背景の森や山々などは案外細かい描写である。
人物たちの描写も稚拙と言ってしまえばそれきりだが、ありのままを描いいるとも言えまいか。そこには、ボーシャンの思いやシニカルな目線は感じられない。そこがルソーとの違いではないだろうか。

アンドレ・ボーシャン 「タルソスでアントニウスに会うクレオパトラ」

クロード・ロランに触発されたとされる作品。だがなんだかゴチャゴチャっとしている印象。荘厳とか聖性といった要素は皆無。しかし、太陽も建物も船も人物も一様に価値を認めているとも言えるだろう。
ちなみに、描かれているアントニウスとは右下の赤と黄のガウン?をまとった人物、クレオパトラはその3人ほど左隣の黄とオレンジのボーダーの人物とのこと。

また、チラシに描かれる花の絵画も、花=美しいものといった固定観念から解き放たれているようだ。こういう小さなものが集合しているイメージは、ともすると恐怖を感じさせるものだが、そちらの印象の方が強く喚起される。無邪気に等質に描くがゆえに、その不気味さが際立っているようだ。

一方の藤田龍児。不勉強ながら初めて知った。
一つ一つのディテールは細緻なのだが、どこかおかしい。どこか不安げなのだ。

藤田龍児 「老木は残った」

住宅地に開発された雑木林に、一つ残された老木。新たに入居したと思われる少女は犬と散歩を楽しむ一方、レンガ塀にはたそがれた男性が一人たたずむ。残された老木と男性を重ね合わせているようだが、残った老木は開発を免れて敢然と屹立しているのか、それとも取り残されて索漠としているのか。どちらとも解釈できるだろう。

藤田龍児 「神学部も冬休み」

冬休みに入り人もまばらな大学キャンパス。それでもが教室へ足を運ぶ学生、それを迎える門は不気味に歪んでいる。木には無数のミノムシがぶらさがり、不穏な空気を作り出している。

二人とも画家自身の強い自我を投影した作品ではなく、あるがままを描きそしてあるがまま故に自然が持つ不安定さ歪さを結果として強く印象づけるような作品を残している。

そう思うと、展覧会の「牧歌礼讃/楽園憧憬」というタイトルも決して真受けにはできないとも感じた。

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