土地という呪縛 ~映画「遥かなる大地へ」を観た
子どもの頃、「アイルランド系アメリカ人」が案外多いことが不思議に感じていた。
アイルランドとアメリカ?
アメリカと言ったら、イギリスじゃないの? と。
アメリカは移民の国と言われる。中でもアイルランドからの移民が今でも、ある特別な立ち位置にある理由について、今回観た映画で少しだけわかったような気になった。
1992年公開の「遥かなる大地へ」である。
時は19世紀末。
アメリカでは西部開拓時代真っただ中だが、この映画はその少し手前、これからアメリカに行こうという人たちの話になる。
まだまだ封建的な支配が残っていたアイルランド。その圧政から逃れて自由の国アメリカを目指す人々。彼らが求めるのは、”自分の土地”である。
19世紀、富の源泉はまだまだ土地であると考えられていた。
見れば見るほど、登場人物たちの土地に対する執着はすさまじいものと感じる。冷静に考えれば、当然土地そのものでは何にもならない。耕作して作物を育て、それを自給するか市場で売るかしなければならないのだが、多くの現代人、特に都会に住む者からすれば、感覚的に理解できないのだ。
現代は逆にモノを持たない方向へ進んでいる。
クルマや家具、衣服に至るまで、ストックではなくフローのライフスタイル。自分という入れ物に蓄積していくのではなく、通過していくような感じだろうか。
そんな現代にあって、土地とは何なのか。
そこまでして持たねばならないものなのか。それともやはり”地に足をつけて”生きるべき基盤なのか。
我々にそう問いかけてくるような気がする。そんな映画であった。
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