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地に足をつけて生きるひとの美しさを知る


もしかしたらよかったのかもしれないな、と思う。

もう何のために働いているのかわからなかった仕事を辞められたことも、発達障害気味の夫にひたすら振り回されてしまっていることに気づけたことも、母に対する眠っていた怒りのような感情に気づいたことも、健全な母親として必要な振る舞いやこれから先も社会と関わって生きていくにあたって必要な姿勢を妹から学んだことも。

やっぱりわたしはめちゃくちゃな人生を歩んでいたのだろう。

軸足が自分ではなかったし、どこかで夫に何とかしてもらおうと思っていたし、もう二度と戻りたくないほど忙しかったし、なぜか自分はすこし特別だと思っていた。

恥ずかしいほどに愚かなのだ。


電車の中で読んだ、
「アフターコロナの世界が訪れたとき、あなたは元いた場所に戻りたいですか?」
という記事が全ての始まりだったように思う。

わたしは心の中で即答した。
「絶対にいやだ」
それも無意識に。


日々の辛さから逃れたくて、コントロールしたくて、瞑想をはじめてから2年ほど経った。
クリアになる脳内とは裏腹に、こころの奥の方の問題が溢れ出てきてしまった。
どうしてだろう、不思議だ。
抱えきれなくなって制御も効かなくて、その矛先は夫に向かった。

自分の中の怒りのエネルギーの強さに驚いた。
夫の顔も見たくなかったし、同じ空間に殆どいられなくなった。
仕事をしていないわたしの居場所は家しかなかったし、汚されたくなかった。
自分がカサンドラ症候群のようだと知った。
それが幼い頃からのこんがらがった問題であることも。


こんなに長いこと日の目を見ず、もがいた事はなかった。
幾度となく、人生とは…と問うた。
きっと長過ぎた盲目の期間のせいのだろうと思う。


今はなんだかやっと、うっすら靄がとれて、目の前の景色が見えるような気がしている。
地に足がついて、しっかり自分の足で、意思で、立てている気がする。
必要なことがわかって、できることがわかって、すべきことがわかって、あるべき姿がわかっている。



ような気がしている。


きっとあともう少しだ。











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