「違うこと」をしないこと
とっ散らかって生きてきた。
ということに40にもなってようやく気づいた。
仕方ないといえば仕方なかった。
どこから間違えてしまったんだろうと想いを巡らせても、人生に間違えなどないことはすでに理解してしまっている。
自分で選んだ道には自分で追わなければならない責任がついてくる。
最近また改めて吉本ばなな作品を読んでいる。
といっても読破してます!と言えるほどでは全くなく、ぽつぽつと読んでいる。
働く環境が塞がり時間ができると、私このままではまずいな、という思いがふと浮かんできた。
仕事、家事、育児に追われ、とにかく時間がなかった。
考え事ができるのは仕事に向かうの電車の中。
帰りはヘトヘトで、ゲームで心と脳を必死にリセットするか、寝落ち。
自分がどんな人生を送りたいか、どんな人でありたいか、こうはなりたくないというイメージはあったけど、ゆくゆくはこうありたいっていうイメージはあまりできていなかった。
もう長く見積もっても半分は生きてしまっているというのに。
ふと、謙虚なひとでありたいと思った。
謙虚とは…?ググる。
・控えめであること
・つつましくあること
・素直であること
…ま、まずい。
どちらかというと日々戦うことを意識していた私は、真逆に歩んできてしまっているのではないか。
ああ、どうしたらよいものか、と思ったとき見つけたブログが、吉本ばななさんの王国シリーズをおすすめしていた。
謙虚とはこういうこと、そう書いてあったような気がする。
20代の頃ぶりだろうか。
久々に読んだ吉本ばなな作品に、心臓を撃ち抜かれたかと思うほどの衝撃を受けた。
なんだかもやっと掴んでいた今までに起こった出来事が、全て活字に表されている。
文字におこすとこういうことだったのか、という感じだ。
なんだか人生全て見られていたかのような、そんな衝撃で夢中で読み終えた。
シリーズその1が出版されたのは2002年。
その頃に読めていたら人生変わっていただろうか。
いや、何もかもがよく言って遅咲きの私では理解できなかっただろう、なんて考えながら。
余談だが。
私は吉本ばなな作品を読むと、わりと心霊現象が起こる。
私に霊感はないと思うが、このときはじめてオバケを見た。
夫もかつて吉本ばなな作品を読んでいるときに、見たと言っていたことがある。
スピリチュアルって連動するのだろうか。
不思議。
思えば若い頃は宗教の勧誘とか、自己啓発セミナーに連れて行かれたりとか、男女問わず変な子ばかり寄ってくることが多かった。
自分の何かが引き寄せてしまっていることに、この頃は私は気づかない。
お前らとはちがう!
勘違いすんな!
くらいに思っていた。
つづく。