1999に3度泣かされた話
以前「1999に2度泣かされた話」をUPした時、実は内心結構怯えていた。
かなりの熱量をもって一気に書き上げたものの、歴浅ファンの勝手な解釈であり、感想であり、ある種の妄想とも言える話だったので、全く受け入れられない可能性が高いんじゃないかと思っていたのだ。
けれど、たくさんの方から共感をいただき、とても嬉しかった。
いいねをくださった方、わざわざコメントをくださった方、ありがとうございました。
実はそんな1999の話に、今更だけれども、後日談がある。
これも書きかけのまま投稿のタイミングを逃してしまってお蔵入りしていたのだけれど、なんとなく、書き上げたので今更だけど投稿してしまおうか、と思った次第である。
あのイメージのまま残したい、という方はここでそっと窓を閉じていただき、ご興味のある方、なんでもオッケー♪という方のみ進んでいただけたらと思う。
少々時は遡り、プレミセの最終回である。
2人はカメラの前で1999を披露してくれた。
このプレミセでのお披露目で、この曲の印象が、この曲から見える景色が、私の中でガラッと変わったのだ。
以前にも書いた通り、私は、「廉と海人」がこの曲の一人称であり、二人称はKing & Princeから旅立った、飛び立った人たちだと、感じていた。
音源で聴く1999を舞台演出に例えると、2人の立つ同じ舞台上に、去った人の影がまだ見えていた。
2人が舞台の中央に立ち、その奥に、もしくは袖に、シルエットとして去った人の影がまだ見えたままでいるイメージに近かった。
舞台に立つ主役はそのシルエットに背を向け観客視線を投げつつも、過去を思い、道を違え去って行った人影のシルエットに語るような、独白シーンのイメージと言うと伝わるだろうか。
去った人の存在が、気配が、まだ近くに感じられる。
そんな印象だった。
けれど、プレミセでの1999は違った。
全然違う歌に聞こえたのだ。
本気で驚いた。
去った人の影が見えなかった。
この歌の二人称だと思っていた人たちの影が、この日、私には全く感じなかったのだ。
同じように舞台演出のイメージで言うなら、シルエットを写す演出が消えていた。
例えば、物語の初めに、その序章を、物語の始まりにたどり着くまでの過去のストーリーを、主役である2人が観客に語るようなイメージに変わっていた。
これにはとても驚いた。
受け取った私の心が変わったのか、歌う2人の心情が変わったのか。
わからないけれど、私からするとタイミング的に出会った時からキンプリは2人であり、最初から今に至るまで去った方々には興味がないという状態であるので、私の方の心が変わったとは思えない。
2人の心情が声に出たのか?と思って、なお驚いた。
もちろん、テレビなので実際に視覚的に入ってくる情報に引っ張られている可能性もあるけれど、それ以上のものがあった気がする。
特に海人くんが顕著だった。
もう少し言うと、海人くんの感情のベクトルは完全にこちらに向いていて、廉くんからのベクトルは2本感じた。
こちら側に一本、そして、完全にこちらにベクトルを向ける海人くんを見守るような、海人くんへの1本、というイメージに近かった。
驚きに感動しつつ聴いていて、途中、一番ストレートに来たのが「Baby, don't worry about me」だった。
音源の時には思わなかったけれど、この日の「心配しないで」の語りかけのベクトルはこっちに向かっていたのだ。
私は完全に、とすっ、と心に刺さるように届いたのを受け取ってしまって、一気に泣けてきてしまった。
「夜が痛いなら呼んで」というのも、前回はまだ気配の残るシルエットに向いているように聞こえていたのに、この日は完全にこちらに向かってそう言われていると感じてしまった。
心配しないで、夜が痛いなら名前を呼んで、近くにいるから。そうやって近くで感じて、あなたの一部になって、その痛みを分かち合えたらいいのにね
そう、こちらに語りかけられていたように感じてしまった。
つまり、二人称がファンの人に転換したように感じたのだ。
春の昨日
雨の匂い
夜の音
窓の向こう
涙の跡
ここからの歌詞もそう。
音源を聴いたときに浮かんだ過去の日も今回は浮かばなかった。
そういうしんどい日もあるよね、そんな日だって、僕がいて、君がいて、流れる日常の中の一つで、特別な意味なんてないんだけど、嘘ほど儚いものでもなくて、夜が痛いような出来事だって過去になるし、色褪せるよ、どんな時でも、この歌と共に君にそばにいるよ
という、めちゃくちゃ寄り添ってくれている歌に変わっていたのだ。
なんだこれ、と。
驚愕と共に、溢れ出て伝わってくるその優しさに泣けてしまった。
「Baby, I got your back」も、「味方でいるからね」と聞こえたし、「If I could be your color」も、あなたの気持ちが少しでもわかってあげられたらいいのにと思っているよ、と。
そっちに聞こえてしまって。
全然違う歌になっていた。
「Baby, don't worry about me」にやられてからの後半は、もう全部ベクトルがこちらに向かっているようにしか聞こえなくて、一緒に辛い思いをした、というか、彼らの方がずっときつい経験をしたであろうにも関わらず、そして、番組が終わるということに対しても、きっと彼らの方がずっと悔しい思いであろうはずなのに。
こちらに向けて、「大丈夫、心配しないでいいからね、これから夜が痛い日が来ても、朝が暗く感じても、一緒にいるから、一緒にこの歌を歌おうね」みたいな、ものすごい前向きで温かな心を寄せられたように感じてしまって…
ああああああもーーーーーーーーーーーー
こちらこそだよーーーーーーーーーーーー
と思って泣いた。
またも勝手な想像だけで泣けてしまった。
というのが3度目の涙であった。
以前にも書かせていただいたが、歌の解釈は受け取った側の自由と思うが故の大暴走である。
でもそう感じ取ってしまったのだから仕方がない。
妄想癖の激しいたった1人にとはいえ、そんな思いをさせる2人の表現力はやっぱりすごいなぁと思うのである。
彼らの、特に海人くんの発してくる何かに関しては、私の情緒が完全フルオープンという前提もあるのかもしれないけれど。
(という妄想かもしれないけれど)
いずれにしても、またも新鮮な感動をありがとうであった。
ということで、「話をしようよ」と共に、3度違う涙を誘われた「1999」は、私にとってもとても大切な1曲になっている。