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趣味は映画です!と言えるようになった


自宅のテレビとは比べ物にならない大きさのスクリーンに映し出される映像、壁の薄い賃貸ではクレームがくるほどの音響、ほぼ直角なのになぜか座り心地の良い椅子と共に、暗闇で過ごす約2時間。


私は映画を観るのが好き。
というより、映画館で映画を観るのが好き。
もはや映画ではなく、映画館が好きなのでは、と思うくらい。


ただ、これはどこの映画館でもいいわけではない。
話題性のある作品が多く上映されている大きな映画館は、大前提、大人数の空間に耐えられない。
休み時間にドアの前を陣取る女子ぐらいの声量で上映ギリギリまで喋るし、幼少期の私と同じように落ち着きのない子供がいるし、他人の携帯の明かりに邪魔されるし、カップルがイチャイチャしてたりもする。

どうせサブスク配信されるのだから家で見てくれ、とも思うが、私が違う映画館に行くことで、このデメリットは全て解決されることに気付いた。


基本的にはミニシアターを好み選んでいるが、大きい映画館でもその空間を独占することができる客数であれば許容できる。
所詮他人なので分からないけれど、うるさくないしイチャイチャもしてないので、きっと映画が好きでここに来たんだろうな、と勝手に解釈している。

上映前に小さな館内をウロウロして、フライヤーをかっさらい、映画が好きな知らない人達と独特の匂いに包まれる時間こそ、私にとっての至福である。


精神状態が悪く生きる気力さえなかった日、何故か映画館だけは行けた。

好きな監督の作品に肯定されることで何かが変わる、という根拠の無い自信があった。
多分、というか絶対、ドチャドチャに泣ける作品ではなかったと思う。
でも私はドチャドチャに泣いた。

私がその時本当に必要としていたのは友達からの肯定でも、お酒に頼って記憶を飛ばすことでも、夜の海に行くことでも、美味しいご飯を食べることでもなく、映画館で映画を見ることだった。ちひろさんだった。



私の人生に必要不可欠な2時間。
自己管理能力が少しだけ身に付いたのは、この時間に出会ってからだと思う。

だめだめな日だったなと落ち込んだ時も、どうしようもなく負の感情に襲われた時も、映画館に行くことでその日を肯定できるようになる。
終わり良ければ全て良し、という言葉があるように、その日は"映画を観に行った日"として上書き保存される。




だからこそ、私にとって本当に大切な時間だからこそ、マッチングアプリで異性を自宅に招くための口実として趣味は映画鑑賞です、という人を軽蔑している。
私にとっての大切な時間を汚さないで欲しい、とまで思っている。

下心を隠しながら自宅で異性と映画鑑賞をする人、満席のTOHOシネマズで友人と映画を観る人など、映画の楽しみ方は人それぞれだしどれも間違いではないけれど、そういう人達に自分の好きな映画を伝えたとて、「聞いたことない!今度観てみる!」以降、会話を広げられる自信がまるでない。

私の好きな監督の作品を退屈に感じる人とは、生きてきた世界も、生きている世界も、思考も感性も全て違う。

映画の好みや映画に対する価値観は人間関係を築く上で重要な判断材料となるし、ありがたいことに、好きな作品の魅力を共有できる人とは出会うことができた。おすすめした映画を実際に観て、感想を伝えてくれる人もいる。

ありがとうございます。
ありがとうございます。の日々です。

好きな映画の魅力が相手に伝わらなかった時、好きな映画を「知らない」という一言で片付けられた時、1人で映画館へ行くことに驚かれた瞬間を思い出し、趣味を聞かれても映画が好きと言えなかった惨めな時期もあったけれど、今は嘘偽りなく映画館で映画を見ることが好きです!私の映画の楽しみ方はこれです!と言える。

自分の趣味を好きですと言えるようになることで、自分自身のことも肯定できる気がする、それぐらい私にとって映画という存在は偉大である。
好きな映画館で、好きな映画を見る時間と空間を私はこれからも大切にしたいな。の気持ちです。



アンダーカレント、楽しみです。




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