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何もないけど「書きたい」あなたへ
※今回の記事は現在上映中の映画「ルックバック」のネタバレを含んでおります。もし映画を楽しまれたい方はぜひその後お読みいただけると幸いです。
(ネタバレの該当箇所は明記しますので、該当箇所を飛ばしていただいても大丈夫です)
あなたは、なぜ「書きたい」と思ったのですか?
最近は有料コンテンツなども含め、色々なコンテンツが出されています。最近ではフランケン氏と猫山課長の音声コンテンツなどは界隈では聞かれている最たるものではないでしょうか。
そしてその中でどうやってお金に換えたり売り物にするかなどは出てきますが、そもそもこの記事の冒頭の質問に対する答えはきっと自分しか持っていない。
なんで書こうと思ったんだっけ?
なんで今でも続けてるんだっけ?
そんなことをふと感じていた時に、映画「ルックバック」が話題になっていることを目にしました。
ルックバックを観たら「なぜそれを作るのか」が何となく分かると思う。
— あだち (@adachinoaccount) July 10, 2024
主人公の藤野は、なぜ漫画を描き“続ける”道を選んだのか。なぜ描いているのか。これはアナタがやっている事にも通じるよ。もしこの部分が曖昧なら、きっとそこに魂は宿らないし、続けるなんて不可能。気になる方は是非。
昔、漫画は読んだなぁ…ただ、あの時の私はコンテンツを書く人ではなかった。
なんで書こうと思ったかを忘れた自分についてのヒントは得られるかもしれない。なにより普通に面白そう。
そういった私の思い、伝えたいことが、もしかしたら今、以前の私のように「書きたいけど書けることがない」と足踏みしている人の力になれるのかもしれません。
~~~~~ここからネタバレ含みます~~~~~
映画を見てきて
いや、結構泣きました。学生さんが多くてその中に混じって見てきたのですごく恥ずかしかったのですが、めっちゃ泣きました。
私がルックバックで好きなシーンは藤野が京本の家に行くシーンです。
藤野はマンガを描いていた。でも京本というすごく絵の上手い才能の塊(のように見える)人に出会ってしまった。
だけど、そこにあったのは才能だけではなく本気で書き続けて辞めない異常な努力量であった…というシーンがとても好きです。
京本にはきっと才能があった。ただ、それを上回るほどの大きな努力量があった。
またその後の、藤野がマンガを描き続けることで多少でも影響を与えられたのではないか?自分も認められたという自己効用感を高められた踊りながら帰る藤野の姿も印象に残りました。
出会わなくても「描いていた」藤野と京本
この作品では2人のifストーリーも描かれています。
2人がもし出会わなかった際にどういう道を歩むかについては、「2人ともなにも変わらない道を歩んでいた」というところです。
それは2人にとって進みたい道がずっと筋の通ったものということに他ならないのではないかと思います。
余談ですがifの中で京本が藤野から「連載出来るようになったらアシスタントになってほしい」と頼むシーンで京本はめちゃくちゃ嬉しそうな顔をするんですよね。
本編の中でも、一旦袂は分かれても京本はいつかまた藤野のマンガの背景を書きたいと思っていたのかなぁと感じました…
ただ、「ifの藤野がなぜマンガを再び書き始めたのか?」は私は考察できなかったですが…誰かわかる方いたら教えてください…
めちゃくちゃミスリードしていた、藤野が止めるシーン
京本が背景を学びたいから美術大学に行きたいというシーンを私はめちゃくちゃミスリードしていました。
私は「京本がいないと自分は成功できない、何もない」という意味で最初捉えていました。でも違った。
藤野は一人になっても成功します。めちゃくちゃ大きくて高いマンションの一室で、漫画を描き続けていました。
藤野は一人になっても自分に出来る努力をし続けていたあのシーンが私はすごく好きでした。
藤野はたぶん京本より上に立ちたいのではないかと私は勝手に思っていたのですが、藤野はただ京本と一緒に書きたかったし、認められたかったし、京本に読んでもらいたかったんだなと感じました。
~~~~~ネタバレ終わります~~~~~
コンテンツをお金に変える、コンテンツを出したいという人は増えてるはず
最近のタイムラインを見ていてもこう感じている人が少しずつ増えている気がするなぁと感じます。そして実際にチャレンジする人も増えてきました。
最近の5分ラジオの隆盛などを見てもそうですね。
これだけチャレンジする人たちが増えてそれによって頭を悩ませている人が増えているということは、それだけ「出してみたかった人たちが多かった」ということにもつながるんじゃないかと思います。
自分が何をする上でもセルフブランディングは必要、とりあえずやってみたほうがいいということを抜きにしてもこの初動の速さに隠れているのはそういった衝動だと私は思います。
例えるなら、ギターを買ってライブに出ることを夢見て足踏みしていたのが、ついに一歩を踏み出したあの時のような衝動、という感じでしょうか。
少なくともコンテンツを書きたいと思えた段階で安心していい
私はそう思っています。
何で稼いでいきたいのか?何をしたいのか?と考えた時に動画編集でもなく、ライティングやアフィリエイトでもなく、コンテンツを選びたいと思った。
そう感じているのなら、「出すものがない」ということはまずないはずだと思っているからです。
なぜならそう思っている人には、というか私自身もそうだったのですが。
コンテンツを書きたいと思った人には、何かに足掻いた経験が絶対にあるはず。
私はそう思うのです。
私がnote100をはじめた理由
私がnoteを100個出す!ということにチャレンジした理由は色んなところで私自身も言っていますし、ご紹介もいただいているように「まずは100個出してみろ」というお言葉を拝見したからです。
当時私はフランケン氏の固ツイにある動画を見てドップリ信者化している状態だったため、すんなり氏の言葉を飲み込んでそのまま行動しはじめたわけです。
ですが、それ以前に自分自身の中から何もないけど書きたいという欲望が溢れ出ていたから書きはじめました。
出し始める前、少しずつ私の内側にある経験や感じたことを文章にまとめていたのです。
何もない。でも書くしかない。そう思って自分自身の内部に深く潜り込めば、何もないと思っていた自分の中から出したくてしょうがないものが出てきました。
それが私が1番初めに書いた記事です。
今となっては見せ方も文章の構成も何もわからず載せてしまいましたのでお恥ずかしいのですが…はじめてUPしたときの爽快感は忘れられないのです。
その時の気持ちを今でも忘れないように私は書き続けています。
強烈なモチベーションが必要な理由
あなたは猫山課長を見て「自分もあの人のような圧倒的なスペックやバックボーンがあって、継続力と文才もあって出来るに違いない!」と思えるでしょうか?
もしくはフランケン氏の5分ラジオやコンテンツの音声を聞いて「あそこまで深くコンテンツを理解し、それを圧倒的にわかりやすく咀嚼して的確な比喩で現し、なおかつ5分という短い時間の中にアドリブで表現することは私にもできる!」と思えるでしょうか?
思える方はほとんどいないと思います。
彼らのような強烈な先人たちがいて、それに追随するライバルになる人たちもたくさんいて、半端な気持ちで書き続けるのは難しいとさえ思えます。
それでも私がnoteを出し続けられるのは、noteを100個出すという宣言をしたから書き続けているのもありますが、それ以上に根源的にあるのは「出したいものがあり続けて楽しいから書き続けられている」ということに他なりません。
目の前には毎日の締め切りがありますし、ネタ出しも想像していたよりも苦しいし、いざ書き始めれば今では1記事書くのに下手すれば何時間もかかる状態です。そこには想像以上の苦しさがありました。
それでも続けようと思えるのは、一番大きいのは書きたいから、読んでほしいからという気持ちに他なりません。
もしかしたら、まだ何も始められていないけどこれを読んでいただく方で「自分も書いてみたいかも…」と思う方もいらっしゃると思います。
その中には、絶対的に「自分の中に出したいもの」があるからそうなっているはずですし、なおかつ「読んでほしい人」がいるからそうなっているはずなのです。
それだけあれば、それがあればずっと続けていくことはきっと可能なはずです。そしてその思いがあなたの背中を押してくれるはずです。
この記事を読んで自分も何かを書きたいと思った、以前は思っていたけど忘れていたのを思い出したという方がいれば、ぜひそれを考えてみてください。
あなたが書きたいと思ったのはなぜですか?
あなたが書いて世に出したいと思っているのは何ですか?
あなたがそれを読ませたいと思う人は誰ですか?
〜最後までお読みいただき本当にありがとうございます!
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