マリちゃんとゆきちゃん

マリちゃんとゆきちゃん

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放課後デイサービスの音楽の先生の仕事

いまは放課後デイで子どもに音楽を教えているのですが、半端なく難しいです。マニュアルなんてありません。 親や、その子が音楽を習いたくて来ている訳ではなく、ただ、その日の活動として楽しい時間を提供しないといけないので…。 私自身はクラシックが好き、ピアノが好きだったので全く苦ではなかったので(大学時代を除く)能動的に習いたいと思う気がない子供の気持ちが申し訳ないですが分かりません…。 クラシックが大嫌いだけど音楽が好き。そんな子もいてしかも発達障害を抱えている、そんな子供を

    • 毒親育ちの恋愛事情

      はい、タイムリーなお話を勝手にさせていただきます。というか吐き出させてください(T_T) 昨日、1年ちょっと付き合っていた彼氏と別れました。 理由ですが、まぁ、私はとても嫌われるのが怖くて、尽くしすぎて疲れて、ちょっとでも嫌われた…?と思うと不安になり、傷つく前に私から切ってしまえ!となってしまうんですね。アダルトチルドレンの恋愛事情でググるとよく出てくるお話ですが、まさに私もそれなんです。 正直とても寂しいです。でも彼は私自身の事は好きではなく、尽くしてくれる私を好き

      • なぜ音楽を辞められないのか。

        何故音楽を辞めないのか、それを書くのを忘れていました。 なんだろう。エモーショナルなものにとても生きがいを感じるから? 苦ではないから?かなぁ。例えばピアノの練習も太鼓の達人と同じで、ゲームのような感覚で、ノルマクリア!出来たら最高にドーパミンが出るんでしょうね。そりゃ、上手く弾けないとやーめた!ってなりますけど。 好きな音楽を自分自身が奏でられるなんて最高に気持ちがいいんです。なので辞めないのでしょう。 最近はバイオリンも習っています。子供と一緒に始めたのですが、あ

        • どんな大人になると思われますか?

          そんな環境で育つと子どもはどうなるか。 どう思いますか? 何らかの精神疾患を抱える?母親に似た大人になる?虐待の連鎖?社会で生きていけない? ぶっちゃけると全て間違いではありません。勿論、それが全て正解でもありません。自分は自分。親は親ですから。ですがそれはかなり難しいです。専門家ではないので私のケースでしかお話は出来ませんが。 23歳で結婚し、出産。29歳で離婚に至りました。 そして精神疾患も中学から抱えることになりました。今も闘病中です。 父親は縊死しました。

          承認欲求

          そんな中で癒してくれるのは音楽や勉強でした。知的好奇心が人一倍あるってだけですが。 というか、褒められてみたかった、承認欲求ですね。 手先も器用でした。ですので、大人並みのものを作るのも書くのも苦ではなかったのです。それを母親が異常に喜んでくれたのに気付き、私はうちの子でいいんだと思えたんです。 勉強も知的好奇心が人一倍あったため、もっともっと知りたい!色んなことが知りたい!と自発的に調べるようになりました。本当は親に褒めて欲しかったからかもしれませんが、とにかく自分の

          母親

          正直、早く離婚してくれないかなって幼稚園の時から思っていました。お母さんはお父さんと仲良しじゃないのは分かるんですよ。暴力を受け、それを私に対して 産まなければよかった。 妹の目が一重なのはお前のせいだ。 母の日には折り紙や絵ではダメ。お金を遣わないとダメ。と言われ、ゴミ箱行きです。 母の留守中は父に暴力を受け血だらけコブだらけ。お母さんは死にたい死にたい死にたい死にたい……と暗号を使ったり使わなかったりする日記を書く。 そんなのを幼少期から見てたらおかしくなってし

          父親

          父親は亭主関白な人でした。彼は自死することになりましたが。そのことに関しては追追書いていきたいと思います。 公務員でした。家に帰ると酒。とにかく酒でした。それと祖母とタッグを組み母いじめ。そんな中でご飯を食べさせられていました。それが日常の晩御飯の時間でした。 飲んで帰ってくる日は散々でした。2時頃にだいたい帰ってきて、その頃は妹と2人で布団に入り寝たふりをしていましたが、蹴って起こされていました。1階では母の悲鳴。祖母の怒号と泣き声。 2階に上がってくると愛犬を蹴る殴

          小学校、そして家族

          そんなこんなで小学生になり、まぁ、仲良しな友だちもいたけどいじめにも遭うこともありましたが、一、二年で終わりました。その後は気が弱いけど八方美人で、世渡り上手でした。はっきり申しますと性格悪いですね笑。強い子に付いて流行りには敏感になるように気をつけて、自分的に頑張ってました。でも、親の前では意見は言えないため、こっそりと友達に合わせるために、母と祖母を上手く扱い、祖母の機嫌をとり、祖母の部屋のテレビを借りたりして情報を得ていました。頑張ったねって言ってあげたいです。 そし

          幼少期

          壊れました。 いや、本当は幼少期から私の精神は壊れていました。親指の手相がおかしいだけで死ぬのではないか、唾が異常に出て眠れないため窓から見える鉄塔の灯りを見て朝を迎える、そんな子供でした。はい、とってもセンシティブな子供で、それに加え、母親も異常なほどセンシティブな人でした。 怖くて怖くて眠れなくて、頭の中で音がして、死ぬのかな、いつかな、と考えるような幼稚園児。異常ですね。でもそのおかげで音楽や絵画、本、色々な芸術的な分野に感動を受け、知的好奇心が育っていったのだと思

          機能不全家庭

          夏休みなんてものはありません。 バイトは禁止。サークルは無いです。何故か同好会とやらはありました。まぁ、隠れてやってる子もいたと思います。私もしてました。バイトしないと学校に通えないからです。もちろん先生には猛反対されましたが…… 二つ下の妹が、またいい子ちゃんで、ホルンで音大に行きたいと思っているのを知ってしまいました。でもうちは中流家庭でしたので、働いてお金貯めてから行くからいいよと言うのです。それを両親は知っていても知らぬふり。私は苛立ちを覚えました。 私立音大の

          本当の地獄とは

          入学式は驚きの連続でした。 私の家庭はおそらくですが中流家庭ってやつだったのでしょう。周りはというと、芸能人の子どもやブランドバッグを持ったお嬢様ばかり…!えーっと…なんとかギャップを感じました!!(._."Ⅱ) が、とてもみんな優しくて、同じ高校から入った友だちや気の合う子もいたのでそこのところは難なくクリア! はい、本当の地獄は技術が追いつかない…! これですね。 教授のクラスから外され、ほかの先生のクラスに入りました。ひたすら全てを否定されるようなレッスンが始

          入試から合格まで。

          はい。何がコネとマネーかと言うと。 私が音大入学したのは2006ですので、今の事は分かりません。参考程度に。。 まず入学することを決めると、ピアノの先生に大学の教授を紹介されます。紹介できない先生は紹介してくれる先生へと生徒を渡します。 そして私の場合はですが、1回10000円のレッスンを受けました。これがまた怖い。 そして家庭訪問。これはお弟子さんが来てくれます。 その他に、大学専門の入試塾が週一であります。そこに楽典、ソルフェージュ、聴音、実技の為に通います。夜

          入試から合格まで。

          その後、大学に入るまで。

          これがまた。発展途上国な日本の音楽大学入試ですね。草生えてしまいます。これがまた、私立の音楽大学はハッキリ言うとコネクションとマネーです。 続く。

          その後、大学に入るまで。

          音楽大学入試を志したら…

          そしてひたすらこの楽しい時間を小学高低学年まで思いゆくまで楽しみました。 ですが学校にはもっともっと上手い子はいるんですよね。ピティナコンクールとか、ヤマハさんとかに通っている子はグレードを持っていたりします。私は何不自由なく楽しくピアノを学んできましたが、正直ブルグミュラーすらやらせて貰えてなかったし、ジャズに転向され。まぁ、これで父親は喜んでくれていたので私は嬉しく思っていたのですが。私は編曲されていないショパンとか、ベートーベンをかっこよく弾きたい!なんて思ったんです

          音楽大学入試を志したら…

          私が音楽を初めて、そして何故辞めないのか

          私自身、音楽は生まれた時から身近にあるものでした。 一族皆、音楽が好きで、その中に私が誕生し、音楽が流れているのが当たり前でしたので、朝はベートーヴェンの田園が流れていました。とても心地よかったのを今でも覚えています。 私がピアノを習うきっかけとなったのは幼稚園の年長の時だったと思います。仲の良かったえみちゃんという子がピアノを習っていて、それで母に習いたいと言ったのがきっかけですね。確か。それで近所のピアノの先生に教えてもらうことになったんです。(ありがとうお母さん。)

          私が音楽を初めて、そして何故辞めないのか