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許される必要などない
わたしが何かをすることに
誰かに許される必要などなくて
誰かに許しを乞う必要もなくて
それが今の時代であり
自由であるとはそういうことなんだろう
もちろんだからと言って
何をやってもいいということではない
自分で考えて
やると決めて
やったことがひき起こした結果については
その責任を負う
その責任の段になって
こんなつもりじゃなかったんです、とうろたえる時
一体誰に何の許しを乞うているのだろう?
引き起こした結果が
誰かの迷惑や、マイナスになってしまったら
もちろんその責任も負わねばならず
謝ることは必要だ
でもその謝罪は
迷惑を受けた人から許してもらうためではない
責任はわたしにあります、
どうぞあなたの気のすむまで責めてください、
できる限り対応しますという
ある種の意思表示なのではないか
ただ、責任はわたしにあるけれど
相手が感じたことの全てがわたしのせい、ということでもないので
負わねばならぬ贖罪と
負わなくて良い責めはある
法律上以外に、どちらかが100%悪い、なんてことは
現実には存在しないのだ
やると決めてやったんなら
後から中途半端に謝らない
そして本気で悪いと思ったならば
同じ轍を踏むまない
やって、謝りながら、また同じことをしていると
それはいつか、大切な人も、ことも、失ってしまうんだな
わたしは何をやったっていい
その結果を引き受ける覚悟があるなら
失敗して、自分の見通しの甘さを悔い、反省して
次こそは、と、また挑戦すればいい
あえていうなら
失敗してもいい
ただそう、自分自身を許すだけなのかもね