第2話イジメの始まり
昨今イジメはインターネットだったり
SNSだったりと形が変わっている
私の世代は全く違う形となっていた。
そんな時代に私は高学年になっていた
家庭環境は相変わらずの日々
問題は学校である。
私の家では消しゴムひとつ買ってと言えない
程の貧乏だ。
子供ながらに遠慮してたのだろう。
しかし、学校へいくと
筆記用具などの消耗品
服は私服であった。
何を考えどうしてそうしたのか
当時の私には検討もつかないが
小さい脳みそで考えたのだろう
【借りれば使える】
友人に貸してもらえばいい
そこまでなら話は済むが
いかんせん借りたまま返さないのだ
きっかけがソレであったかは記憶にないが
女子の1人が
「フケが汚い、服が同じ、臭い、貧乏」
といいだしたのだ
季節の変わり目などフケがとにかく多かったのは記憶にある。
お風呂は入っていたが体質の問題であるのかは
未だ定かでは無い
そこからは
貧乏は学校くんな、茅野菌がうつる
などみんなが私を責め立てる
私が出来ることは、いや出来たことは
「うるさい!ほっといて!」など
暴言で対抗していた
おかげでイジメはどんどんと拍車がかかり
ある時は手のひらに鉛筆を刺す
ある時は田んぼやどぶに突き落とす
ある時は学校の階段から突き落とす
などよく生きていたな、と思える
帰宅しても親は相も変わらずいとこや祖母や父親の事でばたつきほぼ私の話に耳を傾けてくれる事など少なかった。
私も心配もかけたくないため黙った。
救われていたのは、友人は1人もいないが
いとこのひろみちくんだった。
行き帰りも同じなので一緒にいたおかげで
私は学校へ行っていたし
帰宅後もひろみちくんと遊ぶので
苦痛はなかった。
耐えきれない日、布団からでない私に
父親が布団をはがし、着替えさせ無理やり
追い出された、そんな日もあった
ただ不思議な事に、クリスマスは
いとこ含めてお祝いしてくれたが
少しでも気に食わないと叱る父親に
何度不貞腐れたか
お祝い事もそうして嫌いになっていた
悟られぬように、影のように心を殺した
とはいえ子供なので不貞腐れたときは
分かりやすかったと思う(笑)
学校はいやだった。
家もいやだった。
唯一、愛犬たちに救われていた。
だが父親や祖母が気に食わないと
いつの間にか捨てられていた
父親は酒を飲むと学校へも行かせてくれない日
はたまた深夜に起こされ
はたまた母親と大喧嘩
母親は、躾といい
私がなにか悪いと
小さな部屋へ電灯もない真っ暗な部屋へ
何時間も閉じ込める
(ずる賢いのか子供なりに電気はつけてたが)
大人は私の好きな物さえも
奪う人、そして大人が嫌いだった
と認識してしまっていた
そんな中私は考えた
何かで褒められることをすれば
よいのではないか
と。
絵が好きだった私が初めて
表彰された時は褒められたと思う
だが、母が喜んでくれるかも!
とバザーなどでお小遣いで買って渡しても
そんなもんいらんもんや
とあしらわれる
一体何をすれば愛してもらえるのか
いや、当時の私は愛などわからない
ただ、褒められたかった…いとこでなく
私を見て欲しかった…
その一心だったのだろう
母も流石に手の平に鉛筆をさされ
(いまだに芯の黒いのがのこる深さ)
学校へ講義してくれたが
今度は
チクった とイジメは無くならなかった。
5年生になり担任がN先生にかわってから
変化があった。この先生がいなければ
どうなってたかなど分からないが感謝だ。
先生の指導により
生徒からイジメがなく
初めて「友達」ができた。
嬉しかった
ヨーヨーに水をいれ投げ合う
かくれんぼ
ゴムとび
ずっと入れなかった輪の中に初めて
入れたのだ
そんな学校生活。
そして新たなる変化が起きた
ある晩の事
「お姉ちゃんになるんだよ」
そう、母親が妊娠したのだ
私は11歳になっていた
初めての姉妹。赤ちゃん?
実感はないが
お姉ちゃんになる という事がなんとも
嬉しかったのだろう
新しい希望が生まれたのだ。
……………………………産まれるまでは………
産まれてからの事など
その時の私にはわかりもしなかった。
小学校6年生…の新たなる始まり
次回【妹が産まれた】
明日もお待ちしております。
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