今回も、前記事「秋草の美学①:ゆりかごから棺桶まで」と同じく、源豊宗『日本美術の流れ』の言葉に反応したところを取り上げていきたいと思う。 この書籍の序章で源は西洋・中国・日本美術の三つを比較し、それぞれの象徴をヴィーナス・龍・秋草としながら特徴を述べていった。その中で「日本の絵画は線の絵画」と言及し、具体例をあげていく箇所がある。そこについて思うことがあり、一つの記事として書き残しておくことにした。 ◆私の線の描き方は、日本訛り?前記事でも書いたとおり、私は幼少期にアメリ
先月、日本美術史の大家・源豊宗による著書『日本美術の流れ』という本を読んだ。彼は序章で、以下のように述べている。 個人的に、この言葉にものすごくハッとするものがあった。それがどのような性質のものなのか、自分の中の何と結びついたのか、もう少し深めて考えていきたいと思い文章に起こすことにした。 【源豊宗の提唱した、各文化の美術的特徴】源豊宗(1895-2001)は、日本を代表する日本美術史家、文学博士である。 日本美術が「秋草に象徴される美術」だというのは、源が1966年に発
今月半ばに隆盛を誇っていた曼殊沙華の花もすっかり枯れ、早くも彼らの足元には葉が姿をあらわし始めた。曼殊沙華は「葉見ず花見ず」という別名のとおり花と葉の時期がずれることから、花は葉を見ることがなく、葉は花を見ることがないと言われている。 褪せて干からびた花の残骸と、生まれたての瑞々しい緑との対比。最近はそんな光景が目に入って来る。 **** 九月。燃えるように赤い花を一斉に咲かせる曼殊沙華を見るたび、私は彼らがそこに存在していることを不思議に思っていた。 曼殊沙華は元々
一年ほど前の話になるが、李琴峰著の『ポラリスが降り注ぐ夜』を初めて読んで、これは色んな意味で面白く興味深い小説だと私は思わず唸った。今回はその『ポラリスが降り注ぐ夜』について書いてみようと思う。 この本は、新宿二丁目に店を構える女性のためのバー「ポラリス」を軸に、多様な性と生を描いた短編集。ここにおさめられている七つの物語は、さながら北極星を中心に天空を回る北斗七星のようである。(この北極星と七つ星の間柄に関しても、面白いと感じた点があるので後述したい。) ひとつめの物語
これはロシア人作曲家・ボロディンが生み出した『韃靼人の踊り』の歌い出し部分を訳したものだ。歌劇「イーゴリ公」第2幕の曲で、ボロディンの最も有名な曲のひとつにあたる。美しい調べに乗せて女性たちが歌い舞う場面は何とも印象的だ。 私は初めて聴いた時からこの曲が好きで、ずっと特別に思っている。この旋律を耳にすると何ともたまらない気持ちになってしまう。 何年か前のある日、この音楽に寄せられたネット上のコメントの一つがふと目に入った。原文は英語だが、意訳すると以下のような内容になる。
先日の朝、この時期に珍しく鶯が鳴いていた。 随分近くから聞こえるので驚いていたら、庭師さんが落ち葉掃除をしながら鶯の鳴き声に呼応するようにホーホケキョと口笛で真似る。すると鶯は、更に鳴き返してきた。そのやり取りの応酬が何度か続き、庭師さんの口笛の上手くなさがこれまた絶妙だったのも相まって、大変に微笑ましい光景だった。(下手なわけでもないが本当に絶妙に上手くなかったのだ) この体験をした日、敬愛する作家・梨木香歩のことを思い出した。彼女は数年前にある病が発覚し、片耳が聞こえ
私は話す時と歌う時で、全く別人の声が出る。 普段生活していて、声を出しても女性として疑問に思われたことは一度もない。それが「歌」になると一変し、性別不明になる。しかも声域は男性なのだ。昔ボイストレーナーの下に通ったことがあるのだが、彼もその様子に息を飲み「歌い出した瞬間、鳥肌が立った。さっきまでの君が消えて、性別も誰なのかさえも何も分からなくなった」と言った。海外から通いに来る弟子もいるほど数多くの教え子を見てきた実績ある人が、開口一番にそう言うのだ。 我が身体ながら自分
数日前。 どこかの遠く鄙びた場所へ、天体観測に行く夢を見た。路線バスから降りて、延々と歩き続ける田舎道。巨大に育ったセイタカアワダチソウが道に迫り出すようにして荒々しく咲き乱れ、まだ夏の余韻を残した初秋の青空が地平線から180度ぐるっと取り囲むように広がっていた。 昭和に栄えたけれどバブル崩壊より縮小に縮小を重ね、現役を退いて久しい観測所は想像以上に悲しげな雰囲気が漂っていた。在りし日にはこの建物内に充満していたであろう熱気と活気は、長きに渡る静寂の中で完全に死に絶えてい
過去から現在に至るまでをどう振り返っても接点が見つからないのに、なぜか不思議な縁を感じる場所というのは、大なり小なり人それぞれあるのではないだろうか。 私にはいくつかそのような場所がある。 その中でも一番そういった「度合い」が強いのは、ある山城の城跡だ。 そこを初めて訪れた時の私は、その場所の歴史がどのようなものかも、城主が誰だったのかも、何も知らない状態だった。いつもひと気のない鬱蒼とした曰くありげな山(もとい城跡)という認識。実際に足を踏み入れた時も、その印象は変わら
せっかくクリスマスなので…と思ってツイートした、こちら。 今では焼失してしまったノートルダム大聖堂。かつて12月のパリで、夜のノートルダムへ訪れたことを思い出していた。昼とは違う聖堂内の雰囲気と、ノエルの空気感が醸し出す特別さが印象深く残っている。 そのパリ滞在の際、蚤の市を一人でブラブラしたことがあった。その時の話を今、ここに改めて残しておきたい思う。 ****** 通りは雑多なモノ・モノ・モノであふれ返っていて、その物言わぬモノ達の群に私は眩暈を起こしそうになって
意味のない音の連なりを紡いで、一人遊びしていた子供の時の話。 私は母語の習得・確立をさせる時期に日本を離れて住むことになり、それまで親しんでいた日本語とは何もかもが全く違う言語を習得していかなくてはならなくなった。(当然ながら全く違うのは言語だけではなかったが、ここでは割愛。)身体から紡ぎ出される音はもちろんのこと、文字、決まり事や仕組み、好まれる語感、もっと言えばものの見方すらも違ってくる。 自分の中にある二つの言語は、あまりにも遠く交わらなかった。私が使う二つとはまた
幼少時代、一度も聴いたことないはずなのに不思議な感覚に包まれる音楽を耳にすることがしばしばあった。 それは、何処か遠くに置いてきてしまってそれが何なのかも忘れてしまったのに細い糸で繋がっているような、「私という人間」は知らないけど「私の内にある何か」が知っているような、…何とも表現し難い感覚だった。 そういう時にさり気なく母に探りを入れてみると、彼女が私を妊娠している時に聴いていた音楽/あるいは兄が練習していたヴァイオリン曲だということが徐々に分かってきた。これは一部の人
言語として認識するためのスイッチを切れば、日本語も英語もただの音の連なりにしか聞こえなくなる。 高校時代、通学電車の中でそのスイッチを切って全てを「ただの音」にしてしまうことが時々あった。その瞬間、私は日本語を解さない存在になる。耳に入るそれらを解読する機能を停止させると、純粋な「音」に戻る。人間の口から発せられる響き。抑揚。リズム。とめどなくなく変化する音のやり取りがあちらこちらで行われているのを聴いていると、普段は私もそれらの音を出す側に含まれているのが何だか不思議にな
寝ている間に見る夢について。 「この世界、この場所に存在する自分」ではない別の人間の人生の中へと迷い込んだような夢を見ることがある。その人物は生い立ちも、性格も、容貌も、国も、性別も、時代も、家族も、何もかもが違っている(時にそれは地球ですらない)。その瞬間に認識されている「自分」は此処に存在する私ではない全くの別人であり、そこでの人生を生きるということはその人物の抱えた過去から現在までの記憶や感情やトラウマといったもの全てを一晩にして自分のものとして引き受けることに繋がる