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愚か者の手

 私の手は醜い。指には無数の皺が寄り、肌理はこれでもかというくらいに粗い。年齢を考えると仕方がないのかもしれないが、ただ問題は、私の手が小学校中学年ぐらいからずっとこのようであったということだ。

 

 我が家の両親は共働きであったから、私も幼いころから家事に参加していた。洗濯物の取り込みをし始めたのは幼稚園生のときからである。その後小学校中学年に上がると食後の皿洗いも担当するようになった。洗うのは私、拭くのは妹の役目だった。そうして私の手は、毎日毎日、水と洗剤とにさらされ、瞬く間に老人のそれのように変わっていった。

 

 今思えば、皿を洗うときにゴム手袋でも着用していれば、手の老化を防げたのかもしれない。しかし、幼かった私にそんな知恵はなかったし、それらを小遣いから定期的に買うこともできなかった(ゴム手袋はずっと使っていると中に雑菌が繁殖し、手荒れの原因になるから、こまめに買い直す必要がある)。また、親に買ってほしいとも頼まなかった。そもそも、頼むことを思いつかなかった。大体、私の手の甲がこんなにも老け込んでいることに誰も気づかなかったのだ。指に湿疹ができなかったことだけが幸いだった。

 

 それでも、自分の手が小学生にして五十代のようであったことを、嘆きはしなかった。もちろん、同年代とまったく違っていることは認識していた。また、成長するにつれ、周りの友人たちの手が皆すべすべとして、肌理が細かく、指もほっそりとして美しいことを羨みもした。しかし、そこに拘泥することはなかった。大変なことならほかにもっとたくさんあったからかもしれない。

 

 これは悲劇ではない。私の手が早いうちから醜かったのは悲劇ではない。ただ、愚かであっただけである。ゴム手袋をはめるなど、自分の手をいたわるための知恵がなかっただけである。そして、人間、強く美しく生きるには、つまり幸福に生きるには、それなりに賢くなければならないのだ。

 

 そのため、私は今からでも、ハンドクリームを手の甲に塗る習慣を身につけようと思う。それから化粧水も。

 

※この話はフィクションです。

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