【ネタバレ考察あり】劇団Conflux「War in the BOX」が面白すぎてたまらなかった件を、超丁寧に解説する。
今日は、劇団ConfluxさんのWar in the boxという演劇作品について感想を書いていきます。
この公演は映像作品として作られた演劇公演なんです。
ただの演劇の記録映像とは違います。
そして、演劇に映画的な映像表現を付け加えたものでもありません。
この作品は「映像作品としての演劇」として見ることができる作品です。
まずは公演概要です。
<公演概要>
劇団Conflux 第3回公演
『WAR in the BOX』
チケット購入後は、令和3年10月18日まで。
24時間ご視聴可能です。
※販売が10/31日まで延長されました!
この機会に是非❤️(10/21追記)
で、今回の感想の書き方なんですけど、
普通の演劇公演とは違って、過去にやっていた「映画の感想の書き方」をもとに書いていこうと思うんです。
↓入院中にやってた映画の感想文
この映画鑑賞日記は、時々書く舞台の感想とは違って、映画のテーマに触れたりしながら、自分が感じたこと、関連した記憶や記録を織り交ぜながら語るというスタイルを取っています。
War in the BOXという作品は映像作品として作られた演劇です。
そして、クオリティとしても映像作品として何度も見れるような設計になっています。映画を意識しているのかなと思う部分もあり…
「何度観ても美味しい」作品なのです。
なので、そういう楽しみ方をする人を増やしたいんですよね……!
まだ配信されて間もない作品だからネタバレしていいのかと迷っています。
でも、どうしても本編について語りたいのです。
語り散らかしたいのです!!
演劇を見た後、私はいつも一緒に見た友人と感想戦をすることが生きがいでした。しかし、コロナの影響で、私は見たお芝居・見た作品について語る場所を失っています。
もやもやした気持ちに苛まれてたところ、
いつも辛口なENさんたばっぐの荒井さんが背中を押してくれました。
衝撃が走りました。
「そうか、ブログってそういう使い方なのか!!!!!」(馬鹿)
というわけで語るだけ語ります。
正直、友人と話す内容よりも、めちゃくちゃ濃いです。
私は普段ここまで念をこめた感想はそうそう書きません。
こんな熱量で書く感想文は、自分が出る舞台くらいでしか書いたことありません。
冷静に考えると…人様の公演で何をしでかそうとしているんだと頭を抱えるんですが…。
私は今回、「WAR IN THE BOX」の自分の読み解き方まで全部書いてしまいます。
いつも作者に配慮して、自分なりの作品の読み解き方まで公開したことはほぼありません!!
なので、初の試みです。
わあ…冷静に考えると…(以下略)
最後まで読んで現在、1万5千文字という数字が見えております!
この文字数は、もはや暴力以外の何者でも有りません。
論文1本と同じくらいの文量です。
馬鹿なんです。すみません、私、本当にただの馬鹿なんです。
そんな文字の暴力を喰らいたい方のために、ひとつだけお約束があります。
記事の続きを読むにあたり、皆さんは必ずWAR in the BOXを履修してください。
お値段1500円です。
チケット購入時に表示されるパスワードを、公式サイトの作品公開ページで入力することでご視聴いただけます。
観てください。
観ないとこの記事はなんにも意味がありません!!
それどころか、あなたの楽しみを奪ってしまいます!!
観てから読んで!!
チケット販売期間:令和3年9月11日(土)10:00~令和3年10月11日(月)
配信期間:令和3年9月18日(土)0:00~令和3年10月18日(月)21:00
購入まであと2週間しかないから、とりあえず決済してきて!!!
非常に面白い作品です。
90分、濃密に詰められたエピソード。
心を揺さぶられるようなアップダウン。
そして込められたマグマのような熱のうねりがあります。
この舞台を1度目に見るのと、内容を軽く知ってみるのでは、全然違う作品になってしまいます。
なので、ここから先は、本編映像をご覧になった後でお進みください。
ただ、こんなことを言われて見る人なんて100人に1人いるかどうかでしょう。
そして、おそらくこの記事のPVは伸びて50程度でしょう。
つまり、この程度の推しであなたが見るなんてちっとも私は思ってません!!
なのでまず、ネタバレなしで、WAR in the BOXの映像作品としての魅力をお伝えします。
1.映像演劇としての「War in the BOX」
「90分間本当に面白かった」
これが嘘偽りない感想です。
お話としても、映像作品としても非常に面白い作品でした。
公演紹介にも「複数台カメラを使って家で楽しめる演劇作品」って銘打ってあります。
この言葉に偽りはありません。
演劇の映像配信って、固定カメラでちょっとカメラワークしてるくらいのレベルが多いですよね。それを思い浮かべてみてください。
そして今すぐそのイメージを捨ててください。
この作品は、ただ演劇を撮影したようなものではありません。
レベルが段違いです。
(少なくとも私が観た作品の中では)
画角・カメラワーク・フレームの構図の作り方がめちゃくちゃ研究されてて凄いんです!
映画を意識した画面の構図づくり。
遠近表現とフォーカス移動。
自然なカメラパン。
90分間、ストレスを一切感じません。
カメラだからできる表現をうまく作品の中に盛り込んでいる箇所が数々あります。
大興奮まちがいなしです。
2.舞台を配信するっていうこと
立体的かつ視点の自由を許されている「舞台」はカメラという記録媒体の特性に対して、広すぎます。
なので、引きの絵がどうしても多くなります。
正直、そんじょそこらの画質だと、舞台の端から端を写したら人の顔が見えないこともあります!
また、引きの絵が多いと、どうにも物語の没入感が損なわれがちです。
しかしWar in the BOXは、この問題に驚きの解決方法を提示します。
そうです。
カメラに対して舞台が大きすぎるのであれば、小さくすればいいのです。
無観客、映像配信のみに舵をきったからこそできる逆転の発想。めっちゃくちゃジャストサイズ。
トレーラーは無料で見れるんで、実際観てください。
「これ普通の○○で撮影してるじゃん!!!」って思うはずなんで。
そんなね、普通の○○だから、背景が気になっちゃって作品に集中できないんじゃないか…ってちょっと不安になるじゃないですか。
わかります。その気持ち。
結論をいうと、背景とか全っ然気にならない!!!
なぜかというと、映画の手法を取り入れて映像の表現をしながらも……
徹頭徹尾「ライブ感」が溢れているのです。
「映画」だけど、「ライブ」。
「映画」だけど、間違いなく「演劇」。
だから、私の頭も演劇としてこの作品を観ているのです。
1500円。
インターネットで払うお金としては、高額な部類です。
だけど。
私は安かったと思いました。
値段の感覚は人それぞれです。
私は100円の映画でもつまらなかったら
「100円返せ」と思うくらいのケチです。
ですが今回見終わったあと感じたのは
「安いわ…DVD買わせてくれや…追加で2000〜3000円くらい出してもいいわ。円盤買えるなら…」です。
そう。
是非、観てもらいたいのです。
円盤買って、演劇業界の友人に貸し出して。
「見てくれ!!そして私と感想戦をしてくれ!!」と、頼みたいくらいに、私は素敵な作品だと思いました。
そう。
私は、感想戦をしたいのです。
語りたいのです!
この作品を!!
一緒にWAR IN THE BOXを更に楽しみたい!!
そのためには語るしかないのです。
私は、皆さんにやっていただきたいことがあるのです。
購入して、90分。
見てきてください。
そして、見た後にここから先に進んでください。
私はここから先、ネタバレ関係なしに「私がこの作品をどう読んだのか」ということを語り尽くします。
なんでそんなことをするのか?
この公演が、映像作品だからです。
やってみたことありませんか?
映画の考察とか、評論を読んで、もう一度映像を見るという行為を。
WAR in theBOXはそういう楽しみ方ができるんです。
なぜなら、これは映像作品だから!
(DVDセルしてほしい! 買いたい!!)
War in the boxの真髄は、2周目からです。
もうこれは間違いないです。
感想文の中で、タイムコードも打ちます。
読んだら最後です。
1回目にこのお話に触れる楽しさをすべてぶっ壊します。
本当に、さんたばっぐの荒井さんありがとう。
コンフラックスさんに「ネタバレすんなよ!!」って怒られたら、荒井さんのツイートを免罪符として差し出します。
ありがとう。ありがとう。
(恩を仇で返すとはまさにこのこと)
でも、仇で返すと申し訳ない。
うん。
このノートが面白いなと思ったら、
まず荒井さんのこのツイートのいいねを押しておいてください。
荒井さんがこんなツイート投げてくれなかったら、こんな記事書いてないので。
その後で、一緒に「こういう読み方あるよねーーー!!」って盛り上がっていただければ最高です。
もちろん。
「でも私はこういう読み方したもんねーーー!!」も大歓迎です。
顔と顔を突きあわせて感想戦ができない昨今。
我々は。
いえ、私は!
インターネットに頼るしかないのです!!(孤独)
というわけで、まだ見てない人はここで閉じてください。
いいですか?
それでは、またお会いしましょう!!!
警告文:まだ観てないのにこの先を読もうとしている人へ。
賢明なる読者の皆様は、すでにWar in the BOXをご覧にいただいたことでしょう。
信じています。
いえ、嘘をつきました。
1ミリも信じていません。
だけど、自己責任です。
私は知りません。
あなたが1度目のWar in the BOXを観て楽しめたはずのものを、
この記事読んだから失ったといわれても、
私はあなたに1円たりとも払いません。
この先を読んで「ネタバレ殺す」とか言った人に対しては
「あー ごめんごめん」と心無い返事をします。
心のない返事は、とても得意です。とっても上手に心ない返事をします。
この記事を書くために、私は友人2人に
「めっちゃおもろいから見ないと後悔するぞ」と勧めてきました。
きっと2人は購入してコンフラックスさんの懐に2700円くらい入るでしょう。
(10%くらいは決済手数料で取られちゃうでしょう)
今回、映像作品であることをいいことに、動画のタイムコードまで打ちます。
そして、そのシーンがどういうシーンなのかも概要で説明します。
本当に引き返すなら、ここです。
この後、あなたの身に何が起きようとも私は責任を負いません。
では、ネタバレ気にしない感想文を開始します。
さて、私なりの読み方をまずお見せしますね。
実際に読んでもらうのが早いですね。
War in the BOXの読み方:その1
「ハリウッド映画」が鍵になる!
私はこの映画をハリウッド映画に強く影響された作品として読んでいます。
作中で登場する偽ターミネーター(00:31:16)
彼が、その象徴として現れているからです。
作中、「映画の流れなら…」の流れから出てくるショットガン。
ガンスピンもお手の物!という前フリからの、ちょっとぎこちない偽ターミネータのガンプレイ。
このフリ落ちが面白くて、ゲラゲラ笑たんですが、ちょっと不思議に思ったんです。
なんでターミネータなんだ? と。
ここでちょっと尖ってるみなさんならきっとこう思うはず。
「あ、作家さんがアクション映画好きなんだな」って。
だめですよ。
その見方はもったいないです。
「作者の好みwwwwwww」
っていう捉え方は、すっごくもったいなんですよ!
どんな作品にも、作家さんが伝えたい何かが現れていると思っているのです。
このターミネーターは「ハリウッド映画」のメタファーです。
war in the boxの演出/カメラワーク/作品のテイストのルーツを示していると読んでいます。
偽ターミネーターは「カメオ出演」の条件を満たしているからです。
カメオ出演とは、作品に強く関係した人物が短い時間に端役として出演する伝統的な映画表現です。
例えばMIB2のエイリアン役でマイケル・ジャクソンがカメオ出演してるのが有名です。
(マイケル・ジャクソンは何度も出演させてくれと逆にオファーかけるくらいMIBのファン)
いきなり余談を入れますが、このカメオ出演って人だけじゃないんですよ。
映画表現の中にはわざと「この作品の根幹は、この作品にある」ということを伝えるために作中で、小道具や、映像のカット、カメラワークまで影響を受けた作品を示すキーワードのように使われることがあります。
これをオマージュといいます。
(例1:劇場版エヴァで安野モヨコの作品がカメオ出演)
(例2:帰ってきたヒトラーでヒトラー~最後の12日間~のシーン再現)
このカメオ出演やオマージュという表現手法は映画の伝統です。
War in the BOXが映画を意識したカットづくりをしている以上、意図的に映画の表現を入れていると考えるべきでしょう。
実際、作中にはハリウッドエンタメのオマージュが出てきます。
「アメリカンジョーク好きなガンマ」
「パソコン好きなイプシロン」
「ガンマニアの紅一点デルタ」
という、キャラクターが登場します。
アメリカ映画のキャラクター構造を参考にしているのではないかと思いました。
作中のギャグシーンでは使われる、コメディ映画の「お約束ルール」がいくつか使われているように思います。
・言葉通りに静止→全員が喋り始めて何も聞こえない
・強そうなしょぼいやつの登場(偽ターミネーター)
・股間を隠す不自然な体勢での静止
ちょっとこじつけっぽい所もあるとは思うのですが、
「エンターテイメント=アメリカ映画」という式が
この作品を紐解いていく1本目の鍵になっていると思っています。
こんな感じのことをやっていきます。
私なりに作品を読み解いた方法を説明しながら、解釈して語るという形式の感想文となっております。
それでは、続きをどうぞ。
War in the BOXの読み方その2:
隊長はなぜアルファを入隊させたのか?
作中でどうしても腑に落ちなかった事があります。
それは「大規模作戦の前に新人であるアルファを勧誘する」という隊長の行動です。
私は隊長をただの陽気なおっさんとは思えなかったので、とても不可思議な行動をとるなぁと記憶に残りました。
ちなみに、私は作中の隊長はこんな人だと思って捉えていました。
①戦略家
(00:39;18)娯楽解放軍の意思決定・作戦構築を行う隊長
情報網の設計から意思決定までを隊長が一人で担っています。
最も価値が高い場所を一点突破で奪取する戦略を選択。
敵と自分たちの戦力差を把握して、事前工作を行い、実行可能な作戦を立てている。
②用心深い性格
(0:06:42)矯正施設の内部を描くシーン
軍の落ちこぼれがいく矯正施設に隊長は潜入しています。
軍の矯正施設は内部監視が厳しい場所です。
ここに長期間潜入してバレないのは彼が用心深い性格の持ち主である証拠になります。
(01:01:27)作戦成功後の入隊希望を断っている
「彼らのもとに娯楽が帰っている」という理由をつけていますが、本心ではないのではと思います。
密閉された軍事基地の中に知らない人間を入れる危険性を考慮していると思いました。
③高い演技力
(0:15:15)軍議中に会議室で声明文を読む隊長
軍議中の陸軍大将に声明文を伝令という形で伝えています。
しかし疑われる様子もなく、大将は去っていきます。
人物像を考えるに、「なんとなく」大規模作戦の前に新人を入れるような人間には思えない人物像ではないのです。
また、事前工作を自分でやるシーンがあるので、隊長はプレーヤーとしての能力も持ち合わせているはずなのです。
このタイミングで組織の中に人を入れる理由が見つからないんですよ。
だって、アルファがいなくても作戦、遂行できるじゃないですか。
なぜ、隊長はアルファを入隊させたのか。
先に結論を言うと、隊長はアルファと出会ったことで、彼を自分の側に置いておかざるを得なかったのです。
・隊長と隊員の決定的な違い
隊長と隊員には決定的な違いが存在します。
それは隊長が出した「休暇」の過ごし方に出ています。
(00:36:16)隊員たちの休暇の場面
「娯楽解放軍のメンバーは本当によく活動していた。そりゃそうだ。
自分たちの娯楽を守るために立ち上がった奴らだ。趣味に注ぎ込む情熱は、更にすごいものだ。」
このセリフをきっかけに、各隊員が楽しんでいる「趣味」の描写が始まります。
新しいゲームを作ったから一緒に遊ぼうと誘うイプシロン
新しいジョークを考えたと披露するガンマ
本物のコルトパイソンを撃ったことがあるか?と話しかけてくるデルタ
そんな中、隊長は照明が切り替わった後にリコーダーを手に現れます。
そしてアルファに「あんたはさっさと作戦組み立てろ!」と一喝。
そして隊長はそのリコーダーを「息抜き」と言って去っていきます。
照明変化し、ジョークシーンのような演出が施されています。
このシーンはアルファの内面シーンです。
なので、照明の切り替わり=アルファの心象の変化と読むことができます。
様々な人の趣味に巻き込まれて、人生と娯楽の意味を考えている流れの中で、隊長だけが「ジョーク」として表現されています。
つまり、隊長にとってのリコーダー演奏は「趣味」ではなく「息抜き」または「ジョーク」であるとアルファが捉えているのです。
・隊長の語る「エンターテイメント」とは
では、隊長にとっての娯楽とはなんなのでしょうか?
隊長は娯楽によく似た印象的な言葉を何度も使います。
それは「エンターテイメント」です。
作中で使われる娯楽とエンターテイメントという言葉は似ているようで若干の違いが存在しているように思います。
娯楽(Weblioより抜粋)
・仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。
エンターテイメント(Weblioより抜粋)
・人々を楽しませる娯楽やサービスのこと。
ショー、楽しみ、息抜き、気分転換などが類語とされる。
日本だと「娯楽を提供する」という意味も持つが、海外では「自分が楽しむためにある娯楽」を指す場合がある。
ほとんど似通った意味ではありますが、
作中では
「娯楽」は自らが没頭する趣味・遊びを示すのに対し、
「エンターテイメント」は、他者に提供することを強く意識した言葉になっています。
(01:13:46)アルファと隊長が対峙し、娯楽解放軍が非戦闘組織として活動しなかったことを責め立てています。
それに対し、「エンターテイメントではないからだ」と隊長は心のうちを述懐します。
これは一体どういう意味なのでしょうか?
このシーンでは隊長がどういう人間なのかを伝える貴重なセリフが存在します。
・非戦闘舞台にしなかった理由→エンターテイメントじゃないから
・力に頼らない平和的な解決→つまらない
・私は人が思う以上に私という人間を知っている
・私は自らの人生という舞台において常に主人公でありたい
この内容から、隊長が求めるエンターテイメントとは、自分が主役の舞台で、暴力的な解決をする戦闘である。
と逆説として提示することができます。
彼は自身が主役である舞台の上で、「パフォーマー」として生きることを望む人間だと言うことができないでしょうか?
ここで最初に触れた「エンターテイメント=アメリカ映画」の文脈を引っ張ってきてみましょう。
隊長が生きたい人生は「自分自身がエンターテイメント」として生きることでした。
アメリカ映画の主人公のような、ヒロイックで破滅的な生き方を「エンターテイメント」という言葉にしている可能性があります。
なぜなら、ハリウッド映画のほとんどが、暴力を用いた戦闘で面白く物事を解決する話だからです。
隊長は、ハリウッド映画の主役になりたかったパフォーマーなのです。
つまり、自分自身がパフォーマーで有り続ける人生が、彼にとっての「生きる意味」。作中で「生きる意味=娯楽」という式が提示されています。
娯楽解放軍という団体を組織し活動することそのものが、体調にとっての「趣味」にあたるのです。
作中でそれを表した描写が存在します。
(0:59:23)デルタにレジスタンスが終わった後、何をしたいのかと問われ、隊長は言葉を濁し、スマホに目を落とす
もし、同じことをアルファと隊長以外の隊員に聞いたなら「こんなことをやりたい」と熱弁を振るうでしょう。
隊長は目をそらしました。
これは娯楽解放軍の活動が終わった後、隊長にはやりたいことが存在しないと読み解くことができます。
彼にとっては、娯楽解放軍で生きて、色々なパフォーマンスをすることが生きがいになっているのではないでしょうか。
・戯作者とパフォーマー
さて、前提条件が揃ってきたので、「大規模作戦の前に新人であるアルファを勧誘する」という隊長の行動の謎を解いていきましょう。
(00:26:42)ジープで隊長を待つアルファ
(00:40:09)隊長の歩兵小隊にアルファが名指しで加入を命じられる
隊長は新人のアルファをどんな作戦でも自分の隣に連れています。この行動は不可解です。
信頼できるかどうかわからない新人を、30人以上の人を率いる「隊長」の側に置くべき理由はなんでしょうか?
隊長は戦略家でありリーダーでもあります。
自分自身が「大将駒」であることを認識していないはずがありません。
(00:47:40)基地を制圧する際に敵と遭遇する隊長とアルファ
このシーンでの行動も不可解です。
本当に自分の腕を信じているのであれば。本当にこの作戦を成功させることを目標としているのならば。
状況を逆転できる場面にこそ、自身が突入する選択をするはずです。
隊長の判断ミス?
そんなはずありません。
隊長は非常に戦略的なパフォーマーです。
不可解な行動の奥には「狙い」があるはずです。
これら一連の隊長の不可解な行動は、たった一つの理由で説明が可能です。
それは、アルファが軍を追放された理由です。
(00:04:18)芝居を書いていることで上官を殴るアルファ
このアルファの行動を知った隊長の頭の中には、こんな式が出来上がったはずなのです。
★アルファ=戯作者
隊長がとった不可解な行動の全ては、この理由で説明が可能です。
(00:26:42)ジープで隊長を待つアルファ
(00:40:09)隊長の歩兵小隊にアルファが名指しで加入を命じられる
→常に帯同させることで自分自身をアルファに自分を観察させていた
(00:47:40)基地を制圧する際に敵と遭遇する隊長とアルファ
→自ら犠牲になる行動をとりアルファに体験させた
(01:06:01)隊長に「生きろ」と説得するガンマ
→死んだ隊員の仇討ちをするために命を捨てて反撃しようとする姿をアルファに観察させている
(01:08:37)ロケットランチャーの使用を試みる隊長
→ロケットランチャーで攻撃して仲間が逃げる隙をつくろうとする姿をアルファに観察させている
この47分以降のシーンから顕著に、隊長は隊長らしからぬ行動を取ることが多くなっていきます。
こういうシーンあるあるを、あえて作っているのではと思いました。
お膳立てまではしていないでしょう。
なぜなら、即興劇を普段から隊長は好んでいて。
即興劇で遊ぶことが娯楽解放軍の文化として根付いているからです。
その場に合わせて、最も適した演技をする。
日々そんな遊びをしてきた隊長にとって、想定外のことで慌てふためいたり、感情のままの判断をするわけがないのです。
もし隊長が本心から「娯楽を人々が楽しめる世の中を創ること」を目的としているのであれば。
隊長は生きのびる選択をし続けなければいけないことは、隊長自身が一番認識しているはずです。
しかし、劇的なことが起きた場面で、隊長は「死ぬ可能性がある選択」をします。
熱い演技とともに。
そしてその場面を、アルファは必ず観測しているのです。
隊長の本当の狙いとは、なんだったのでしょうか?
私は思うんです。
隊長は自分自身が「大義」に心をもやし、実行していく生き様そのものをエンターテイメントにしたかったのだと。
だって、ロマンじゃないですか。
体制に盾突き、自分の信念を信じて突き進み、人々に歓喜の声を持ってその偉業を讃えられる。
その偉業に至る道は、まさしく万人が愛するエンターテイメントです。
いろんな映画や舞台で、今も昔も語られる「偉人伝」。
戦国武将のお歴々。
幕末には坂本竜馬に真選組。
第二次世界戦争の将校、零戦の開発者、零戦の操縦者。
戦いに身を投じた者は皆、勝った者も負けたものも「エンターテイメント」として後世に語り継がれます。
それが、正義側であったとしても。
悪の側であったとしても。
隊長の本当の狙いとは、自分自身を「エンターテイメント」にすることだったのではないでしょうか。
色々な場面で演技をすることで、この瞬間の俺のシーンはこう書いてくれと、アルファに訴えかけていたのではないでしょうか。
隊長が残したかったエンターテイメントは、最初は多分自分の生き様だったと思うのです。たから、娯楽を人々に開放するんだというメッセージを何度も何度もアルファに発信します。
しかし。
いつしか隊長は「死に様」を演じてエンターテイメントで残す可能性に賭けはじめました。
そして、その結果。
アルファの胸には、隊長の「死に様」の痕跡がトラウマとともに刻まれてしまったのです。
トラウマはエンタメの真逆です。
内に秘めた恐怖。
隊長は一生を賭けた選択を、間違えてしまったのです。
War in the BOXの読み方その3:
アルファとはどのような人物だったのか
ここからは、物語の主人公であるアルファを読み解いていこうと思います。
アルファの人物像を探るとともに、作中最大の謎「花火」のについて解いていこうと思います。
まずアルファの人物像を探るにあたり、前提として「彼は本当に戯作者だったのか」を考える必要があります。
・アルファのノートには脚本が存在したのか
()アルファが捕縛されるシーン
アルファが矯正施設に入れられるきっかけは、芝居を書いていたところを上官に咎められ、なぐってしまったからでした。
さて、このノート。曲者です。
丸められていて、本当に何かが書いてあるのかわかりません。
まず、このノートに何か書かれていたのか?
これはYESだと思います。
スパイとして敵勢力に入り込む際、調べられても良いようにあえて証拠を残す手段を考えたと考えるのが自然だからです。
このノートに戯曲は描かれていたのか?
わたしはこれもYESだと思います。
理由は2点。
1.そもそも戯作者がこの世界には少ないはずだ
娯楽が禁止されて15年の時間がこの世界では経過しています。
もし、現代の日本でこの「娯楽禁止法」が施工されたとして、15年後戯作者は何人残るでしょうか?
非常に少なくなるはずです。なぜなら、日本で創作の対象として戯作を選ぶ人は、小説やイラスト・漫画よりも少ないからです。
2Dで作品を作る人口は、イラスト▶︎小説▶︎戯曲という順で少なくなっていきます。
pixivはひと月で登録される作品数が20万件。
小説家になろうの登録作品は40万件。
はりこのとら4181本です。
小説▶︎戯曲の創作人口だけを対比しても100分の1です。
15年間、娯楽舞台を封じられて、戯作者は何人残ると思いますか?
そんな世界で娯楽=戯作という非効率的な嘘をつくとは思えないのです。
2.嘘は1割だけ混ぜるのが「ウソの基本」
人に嘘を信じてもらうためには真実の中にひとつだけ嘘を混ぜるというテクニックが存在します。
全てに嘘をつけるほど、人の脳みそスペックがよくないんですよね。
9割の真実に1割の嘘を混ぜると信憑性が増すと言われています。
有能なスパイが、自身の存在価値を示す部分に嘘は混ぜないと思うんです。
特に、アルファの場合、娯楽解放軍という組織の中で、自然体に振るまわなければいけません。そこに嘘は混ぜないと思うのです。
アルファは「いろんなところに行って巻き込まれるのが好き。いろんな物を観るのが好き」と言っているので矛盾するように思います。
ですが、創作をしている人にはわかるはずです。
物を作るためには、知識が必要です。
最新のエンターテイメント、特撮、ドラマ、漫画…創作者は皆それぞれ、興味を持って作品に触れています。創作者は「好奇心」を捨てられないのです。自分の作品に、活かせることを知っているから。
だから、アルファが見るのが好き、いろんなことに巻き込まれるのが好きというせりふに矛盾はないのです。
少なくとも半分は本心だと思うのです。
もう半分は、言うまでもなくスパイ活動のためだったんだろうなとは思いますが。
状況の中で自分に嘘をつかず、自然体に振る舞う能力がアルファがトップオブスパイである理由なんでしょう。
以上の理由から私は、隊長が
★アルファ=戯作者
と定義づけた計算式は、間違いではなかったと思うのです。
・アルファと隊長だけが共有した「火をつけられないタバコ」
すこし話はかわりますが、WAR IN THE BOXの中で、象徴的なシーンが2箇所あります。
舞台のファーストシーン。
軍服に観を包んだアルファが、煙草に火をつけようとして火がないことに気づき、
後輩の兵士に火気厳禁であることを見咎められます。
このシーンはの時系列的は娯楽解放軍が全滅し、アルファがトラウマを抱えた後。
ラストシーン手前の位置の出来事です。
もう一つが00:27:46。
お話の1/3に位置する場面で、軍基地からロケットランチャーを盗んだ隊長のシーン。
この最初の大事なシーンに「火をつけられない煙草」が登場。
この「火をつけられない煙草」はアルファと隊長にのみ共通するエピソードで、作品の冒頭と30分の位置に差し込まれています。
この煙草は2人をつなぐ象徴的なアイテムとして使われています。
ハリウッドスタイルの3幕構成のプロットラインにおいて、時間の1/3の箇所は最初のターニングポイント。
つまり、「最初に大切なシーン」が始まる時間。
参考:ハリウッドスタイルの3幕構成
http://www.openeyes.jp/html/ura_scenario_const.html
火をつけられないタバコとロケットランチャーが登場するシーンで、アルファと隊長は何を話しているのでしょうか。
ぜひ、00:28:48からの会話を聞いてみてください。
とても素敵な会話をしています。
ああ……素晴らしい……
(この作劇の意地の悪さにめちゃくちゃ感動した)
・バズーカを打とうとした もの、打ったもの
さて、このハリウッドスタイル三幕構成でもう少し見ていきましょう!
だいたい30分ごとに大事なシーンがくるって思ってくれたらOKです。
さてさて、もう一つ面白いものが出てきました。
(1:08:41)
隊長がロケットランチャーを発射しようとするシーン。
しかしながら、このロケランの発射は、アルファによって妨害される。
(1:22:36)
ロケットランチャーは5年後、アルファによって武器庫に打ち込まれます。
少し時間のズレはありますが、第2ターニングポイントに「ロケットランチャーの不発」。
クライマックスに近い部分で「ロケットランチャーの発射」のシーンが存在しています。
そして前述の通り、ロケランを手に入れたのは、第1ターニングポイントの箇所です。
第一・第二ターニングポイントと、クライマックスで出てくる「ロケットランチャー」こそが、
この物語において非常に重要なものであることを示しています。
武器庫に向かって発射されたロケットランチャーは、
武器を破壊し、火薬に誘爆し、そして大きな花火を打ち上げます。
そう、物語の冒頭でアルファが幻視した、あの「花火」です。
劇中の最初と最後に、印象づけるように打ち上がったあの「花火」とロケットランチャー。
そして、火をつけられない煙草。
なんだか、不思議な関係性です。
燃える物・着火剤・爆発。
さて、それでは最後の謎「花火」を紐解いていきましょう。
・火をつけられない煙草とロケットランチャーと花火
花火はとても不思議な存在です。
花火というと夏の風物詩の定番ではありますが、
存在がとても不可思議なのです。
武器になる火薬に、様々な化学薬品を入れ、
ただ一瞬、打ち上がって燃える様を大勢で見て喜ぶ。
コロナ渦の中で、もっとも打撃をうけたと言われているのが「花火業界」です。
花火を制作するまでに、少なくとも1ヶ月半くらいかかります。実際に打ち上がるのは、平均でたった6秒。
コロナ渦でサプライズ花火が定番になるまでは、
「花火大会」や、「遊園地」など、特別人が集まる場所で披露するのが恒例でした。
いまは人が集まらないように、その場にたまたま居合わせた人がふと気づく。サプライズ花火として、時々打ち上げられています。
言葉は悪いかもしれませんが、花火はコロナ渦の中で存在意義そのものを否定されてしまった存在です。
誰かに見られるために存在しているのに。
観てもらうために人を集めなければいけないのに。
観てもらわなければ、ただ燃えて消えていくだけの物体なのに。
そんなことを考えて、「概念が舞台にそっくりだなぁ」とぼんやり思ったのです。
『花火は映像や写真として、その痕跡を記録に残すことができます。
けれど、写真越しに見る花火はたったの一瞬。
映像で見る花火は立体感や、音、爆ぜる瞬間の爆発力を伝えるには役不足です。
生と映像には、格段の違いがあります。
花火の記録は「時間の痕跡」でしかないのです』
上記の文章を舞台に置き換えると、しっくりくる気がしませんか?
私はしっくりきてしまいました。
アルファが打ち上げた花火は、サプライズ花火です。
その瞬間に居合わせた人にしか見れない花火だったでしょう。
銃弾が爆ぜ、ミサイルが爆ぜる。
轟音と炎をまとった強烈な爆発が起きたはずです。
花火のように広がる花弁は、破壊された戦車の破片かもしれません。あるいは、武器を隠していた倉庫の壁や屋根の破片かもしれません。
炎が炎に誘爆し、凄まじい轟音と熱風があたりをつんだはずです。
決してそれは花火と言えるような、美しいものではなかったはずです。
その見ながらアルファは、ようやく戦場の音から解放されます。
ラストシーンで、爆発の音が聞こえないのは。
おそらく、爆発の衝撃で物理的に聴力を失ったためと考えることができます。
アルファは静寂の中、隊長が残した酒を口にします。
そして、「実にエンターテイメントだ」と叫ぶのです。
振り返れば、アルファの心残った「娯楽解放軍」のメンバー達の痕跡が、アルファの前に現れます。
彼らと過ごした日々は、長い人生の中で一瞬のことだったでしょう。
しかしその日々は、アルファにとって花火を見守る観客のような気持ちの毎日だったのかもしれません。
決して実を結ぶことのない、炎の花は、轟音を響かせ、美しい炎の軌跡を写して、空に消えていくのです。
作中の花火は、娯楽解放軍のメンバーを表す存在であるとともに、アルファにとっての救済であったのではないでしょうか。
アルファの内に秘めた恐怖が、外に解放する喜びへと変化した瞬間だと思えるのです。
War in the BOXの読み方その③
「箱の中の戦争」
WAR in the BOX。
直訳すると「箱の中の戦争」。
このタイトルが示す箱とはなんだったのでしょうか?
BOX=要塞。
これが作中で示されるBOXの正体の一つ。
しかし、この意味だけで使われているのであれば、
この物語は00:43:55の突入作戦開始から、
隊長の死によって戦争に幕が引かれた1:18:53までのお話になってしまいます。
もう一つ考えられるBOXは「アルファの精神」
アルファはスパイとして活動し、PTSDを患っている中、過去を思い返すような構成でお話が進みます。
そのため、アルファの中のPTSDと記憶の戦いを暗示する言葉でもあります。
そして最後に。
これは演劇です。
箱という言葉は、劇場という言葉に繋がります。
舞台人は劇場やホールのことを、「箱」と呼ぶからです。
これは、劇場で起きた戦争。
今の演劇業界で起きている様々な問題にも焦点を当てた作品だと私は思うのです。
コロナ渦の中、様々な業界が疲弊し戦い続けています。
それは「不要不急」という言葉で、表現という生き甲斐を脅かされている演劇をはじめとした様々な舞台文化も例外ではありません。
戦いは多岐に渡ります。
モチベーションとの戦い、集客との戦い、情報宣伝の戦い、テクノロジーとの戦い、配信コンテンツとの戦い…。
ぶっちゃけると、演劇は負けっぱなしです!
勝てない。どうしても、勝てない。
スマホで映画を見れる時代に、劇場に足を運んでもらう難しさ。
感染リスクを、出演者からお客様まで背負う心細さ。
アマチュアである私たちが、自分の表現が誰にも必要とされない日が来るのではないかという恐怖。
勝ち筋すら誰もわからない中で、試行錯誤をしながら、私が顔も知らない数多くの舞台人は今日も戦っています。
この作品を見た私は、泣いてしまいました。
お話そのものが良かったのもあるのですが、泣いたのは別の理由です。
作家のRINさんをはじめとした、この作品に関わった人たちの熱くてドロドロとしたマグマのような熱に触れた気がしたからです。
私はこの二年、慌てふためくだけで、演劇に向き合えていたかというと。
全く、そんなことはありませんでした。
情報を集めて、戦う人を応援し、自分自身にはすでに商品価値はないと日々噛み締めている日々でした。
戦争する箱を外から眺めて、ただ爆発を待つ「観客」です。
でも、観客の位置も悪くないんです。
面白いんです。
皆が頑張っているところに声をかけて応援をして、私も頑張れたらなって思う日々。
でも、私もパフォーマーなんですよね。演劇人なんですよね。
一応。
最近ずーっと、一人でできるもん!!をやってたので忘れかけてました。
(朗読したり、動画作ったり、果てにはNFTの作成まで手を出しておりました)
でも私は役者であり、戯作を嗜んでいます。
演劇が大好きで、演劇をしている人たちが大好きな人間です。
そのことを改めて思い出して、思わずどわっと涙が出てしまったのです。
だからね、私。
War in the BOXを、いろんな人に見てほしいんだよね。
面白いだけじゃなかったから。
すごく、感動したから。
ここまでの感動をできるかどうかは保証しません。かなりの割合、自分の今置かれている状況とか、精神状態とかに左右されている部分があるので。
でもきっと、私みたいにちょっと腐った状態になってる人には何かが届くと思うんだ。
なのでぜひ、War in the BOXがいいなって思った人は、演劇友達に広げてほしいなと思います。
いま、文字数カウンターを見て、私は大変震えております。
1万5千文字を超えました!
もはや、これは文字の暴力としか言いようのないボリュームです。
最後まで読んでくれた方、本当に長い文章に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。